星野リゾート「マスク外します」 リプ欄を見て思うこと
星野リゾートが全従業員マスクを外すと発表した。
このツイートに対して様々な反応があったが、見れば見るほどなんとも言えない気持ちになった。
前提
私は今回の決定に対して賛成である。ただ、誤解してほしくないのが、マスク必要派の人に対して「いつまでマスク必要って言ってるの?」と言いたいわけではない。
人によって考えは異なるわけで、自分の意見を他の人に押し付けようとは微塵も思わない。
この前提の上で感じたことを書いていく。
「もう行きません」
今回の決定が自分の意見とは異なり、「星野リゾートに泊まるのは難しいかな」と残念に思う人はいるだろう。繰り返しになるが、どう思うかは自由だし何とも思わない。
しかし、当人に対して直接的に「もう行きません!」と吐き捨てるように言ったり、「危険なホテルだとわざわざ教えてくれてありがとうございます!」と嫌味ったらしく言う人の気持ちがマジで分からない。これによって果たして誰が幸せになる?
「困らせてやる!」と意地になっているように感じる。そして、その根底には「なんでそうなんだよ!」「自分はこう思ってるのに!」「こっち向いてよ!」という気持ちがあるのではないだろうか。
それって、かまってほしいがために親をわざと困らせる子どもと同じ行動プロセスでは?
「〜の人がかわいそう」
「経営陣の決定に巻き込まれた従業員がかわいそう」「高齢者や基礎疾患持ちの人は行けないじゃないか!」みたいなリプライも見られた。要は自分以外の誰かの声を代弁するコメント。
そもそも代弁された人が本当にそう思っているかは分からない。想像力が豊かすぎでは?
もしそうだとしても、当人ではない他の誰かが首を突っ込んで代弁するのは余計なお世話だと思う。
消費者も"選ばれる"
ゲストがホテルを選ぶのと同様、ホテルもゲストを選んでいる。
分かりやすいのが価格で、「年収xx円以上の人は予約できません」と明文化せずとも、ターゲット層を選定していることは明確だ。
今回の件は、選定項目が「価格」から「従業員のマスク着用有無」に変わっただけ。
リッツカールトンに対して、「いくらなんでも高すぎる!これじゃ貧しい人はいけないじゃないか!」と言っている人を見たとしたら、とんでもない違和感を覚えるはずだ。
先日のスープストックの対応然り、サービスの提供者側が理念やスタンスをはっきりと表明するのはいいことだと思う。想いに共感できる者同士でのサービス授受が実現し、互いにハッピーになれる。
今回炎上して(?)話題になったことがそういう動きの契機となることを期待している。
不満を言うか/自分が変わるか
「マスクをしていた従業員がマスクを外す」という変化。抽象化すると「自分の思い通りにいかなくなってしまった」変化。
この際、「不満を言う」「自分が変わる」の2種類の人間がいる。「他責」「自責」とも言い換えられる。
例えば、業績不振で給料が苦しくなった時。動かずにぐちぐち言う人、転職するなり自分が動くことによって状況を良くしようとする人。
自分が動きもせず、ふんぞり返ってああしろこうしろと言うのは怠慢でしかない。幸せは誰かがもたらしてくれるものではない。自分を幸せにするのは自分自身。
どうしたら日本は良くなるだろう
今の日本はいろいろな課題があるが、その根源は「日本人のマインド面」にあると思う。ただ、その中身がぼんやりとしていたので、今回の件は良いきっかけだと捉えて言葉にしながら考えてみた。
今年の2月、カーニバル期間のリオデジャネイロにいた。
ありのままの自分を表現し、周囲も違いや多様性を受け入れる。
「わたしはわたし あなたはあなた」といい意味で他人を気にしない社会。
そこにいた人間は自分の人生を生きていて、間違いなく幸せで、そんな姿に感銘を受けた。
同時に「この人たちは絶対日本人より幸せだよな」となぜか悔しくなった。どうすれば一人一人、ひいては日本全体が幸せになれるのかなと考えるようになった。
自分一人でできることなど限られていて手段も分からないが、一歩目として今回のように考えていることを言葉にして発信していこうと思う。
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