人に会って話す

仕組みを知ることの必要性を実感している。
仕組みの根幹が本質であって、目覚まし時計の機構、自然の中の共通する構造や働き、形、渦、マイナスイオン、興味のあることが多い。

今の資本主義の根幹にはお金の発行の仕組み、
借金でお金を生み出し、ふくらむ利息が問題、そんなことが朧げでも分かってくると、
よくわからないまま不安になっていたり、巻き込まれている構造自体から少し距離を置けるようになってくる。

知識が必要なのはこういうことで、構造が分かってくると、概観や俯瞰、おおよその方向や終着の予期もできてくる。

(久しぶりにライブハウスに行って、大きな音を浴びてきた。
自分がバンドをやっていた時、その時はドラムを叩いていて、演奏している自分たちの音が壁やアンプの裏、人々の合間も縫って、大きな渦を巻いているような感覚になったことがあった。
大きなものに包まれてるみたいに、いつほどけるか分からない緊張感、その中にとどまっていたい感覚、少しでも自分たちの演奏の何かがずれるとこの渦は消えてしまうのかもしれない。
演奏に乗せている激情、日々のうまくいかなさ、自我まる出しの恥ずかしさも全部渦を巻いていて、心地よかった。
何年かバンドをやって、そんな体感を得たことは数少なく、今は弾き語りの中で、そんな瞬間を探してる。
自分の外郭が空間に溶けて、場所も人も同じになるような瞬間、音と歌の浸透圧をあげていく。)

ライブハウスで友達たちと会った。
来てたんだ笑、とにやにや。
ライブ後にみんなで話す。
今大きな波がざぶんざぶん押し寄せてきてて、よほどバランスをとっていないと波に飲まれる。そのまま流されることも、またなんとか浮き上がっても落っこちないように保ちながら、波はおさまらない。

そのバランスを、それぞれのやり方で行ってるのを聞きながら、自分はどうだろうと思う。

本当は何も起こっていない
実相ではそうだと思う。

文脈や内容は、それがどの階層で発せられたかによって意味合いが異なる。
高低深浅、網羅していないとその言葉の意味合いを掬い逃す。

尊敬している人が、とにかく行動の数だと言ってくれた。
音楽聴くこと、人に会うこと、話すこと、今までよりも実感がある。
どこに漂着するかの分からなさを可能性と読めるようになってきたから、
今日も人に会って話す。


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