Continent of consciousness

どうしたらいいかわかんない、そんな時に足場になるのは、人との時間だったり新しい知識だったりするというのが、身に染みて感じられる一年やった。

自分の生活している世の中や社会、経済機構、色んな言い方はあるけど、その仕組みを知っていくことで、がんじがらめな構造に自分も絡め取られてしまう瞬間が多々ある。

その状態を少しずつ越えてくると、結構果てしない全体像だけど、俯瞰できる視点が出来上がってくる瞬間が現れ始める。

知ることで落ち込むことも飲み込まれることも多々あるけど、そこから自由な姿勢を持てるためにどう在るか。その実験をしている。
"意識"についての興味、ここ半年くらいの一つのテーマになってる。

・社会や世界が存在するから、認識できる意識できる

・意識する認識するから、社会や世界が存在する

山の中で一人黙々と暮らしているなら別、社会経済とはめちゃくちゃ関係あってその影響下にいるんやけど、全く関係ない場所を同時に自分の中に創っておく。
関係ある社会と関わりながら、自由でいる。
自由というのは、独善的で自己中心的な状態じゃなくて、そこには共存と調和のためのセンスが要る。

知らなくても大丈夫だった、興味を持たなくても関係なくいけた、なんとか生活ができて好きなことをやれてたところから、状況は変わってきてるように感じる。だからこその実験。
これってもう詰みなんじゃねえか、ってところから新しい一手を創造する、自由意思がある。

何か完全に開き始めてる。

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