lawakayama

友達、と一言で書いても、そこに内在している感覚は発する毎、使うたびにちがう。
友だち、という書き方が好きでよく使っている。

説明できないけど説明したいでもなんか言ってしまったら消えてしまいそうなあの感覚の源泉、湧き出したら、それはそれは熱い気持ちになれるのかも。

好きな人が多い。普段から連絡を取り合っている人や気にかけてくれる人、関わろうとしてくれる人が愛しい。
自分をどこかに連れ出してくれる人やタイミングを基本的に待っていることが多いので、そんな声がかかると助かる。
しかもそれが表現に関することだったり、その人の私的なことだったりするとなお嬉しい。

友だちたちと大阪から2時間半ほどかけて、緑の多い場所に行った
屋根や柱が少し傾いている古民家で、炭に火を起こし、野菜や肉を焼いて食べる
開け放たれた窓、これが気に入って、当時ここに住むことに決めたのよ、とその人が言った。

枠組みを設けるからこそ感じられる空間感、人間の感性は面白いと思う
カレーパンは大体あの大きさだからいいし、それぞれに固有な基本的なサイズ感は民族習俗によって違うだろうけど、想像に収まる実用性があるものを生活と呼んでいる。

陽が沈んでいく
今日の夕焼けには一体いくつの青と赤が混ざってるんやろう
色んな人がこの日の夕焼けのすごさを、それぞれ各所で発していた
その窓が形作る夕焼けは、アナもデジも超えてマジに足るものであった
夕焼けがなんであんなにいいのかは、やっぱりあの色の波長、
赤橙黄緑青藍紫のスケールで言うと桃色片想い、桃色宇宙、の隣辺り
心まで届いて細胞内の分子、うまくいけば生体水にまで届いてくれる心温色。

山の中にいるのに、夜になっても空が全面的に明るかった。

この家の横に流れる川沿いで、蛍を見た
ヒメボタルという種類が多く、チカチカと早く明滅する光が特徴的
たくさんの蛍がそれぞれに飛んでいる
蝶道みたいなものが、蛍にもあるのかな
たまに、物質的存在の自分たちや場所が、粒子のサイズで観測できるスコープがあればなと思ってる
今そこを覗いたら、銀河系やアンドロメダ星雲がたっくさん川沿いに現れるんじゃないかな

景色に感動することと、その瞬間を誰と過ごしているかは相関する
何か大きなものを感じて自分の存在がちっぽけに感じられるのはいい傾向、
寂しくなるのは、心がまた少し伸びるための前兆。



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