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「引退試合と英検ブッキング」問題:日経新聞「受験考」から

日経新聞で興味深い記事が上がっていました。

実際、こうした問題を抱えるケースに関する話を聞くことは少なくありません。

高等学校でもありますが、どちらかと言えば中学校で起こりやすいトラブルの一つかもしれません。

これは有料記事ですので、私自身もこの記事の結末を読んではいません。

あくまで記事をテーマとしたわけではなく、単純にこの手の頻繁に起こりうる問題に関しての私見をまとめたいと思います。

ちなみにこの手の内容はヤフー知恵袋などでもよく見かける質問の一つです。


「英検を優先すべき」一択

まずこうした相談を生徒や保護者、あるいは知人から受けた場合に関して私の答えはシンプルで、「英検優先」というものです。

英検のスコアは進路に直結しますが、部活の引退試合は基本的に進路に関してプラスに働くことはほとんどありません。

特に「引退試合」という表現からも分かるように、おそらくは県大会や全国大会などの何かしら部活動の実績として評価を受けるほどの実力でもないように読み取れます。

仮にこの生徒が部活動で進学先を選択できる実力を有しており、特技奨学生のような形で進学するのであれば試合を優先するのは自明ですし、おそらく英検との選択という考えは思いつくことすらないでしょう。
(そうした形での進学に関する是非は別として)

部活動の引退試合は実績としての対外的な評価よりも、内的な感情を整理するための区切りやけじめとしての意味合いが強いもののように思います。

そういった行動自体を全否定するつもりはありませんが、自分の心の慰めで将来的な影響のある行動をキャンセルするのは余りにも不合理でしょう。

「学び」を軽視する「学校」

こうした問題が存在すること自体が現代の「学校」という存在が抱える課題を如実表しています。

なぜならば、言うまでもないことですが「学校」は「学び」を行う場だからです。

英語のスキルやその成果を対外的な指標とする英語検定は「学び」の結果を示すものです。

一方で部活動は「学び」ではありません。もちろん部活動を通して得た経験に価値が無いわけではありません。

しかし、法律上の建前としても、実際の授業やカリキュラムの建付けから考えても学校は教科学習を主軸とした「学び」の場所です。

ところが学校が、顧問が、中体連や高体連がそうした学びを軽視しているために、英検の試験の日に試合をブッキングさせるといったスケジュールの設定を行っているといことなのでしょう。

確かに英検は一業者(旺文社)が実施する民間の試験に過ぎません。しかし、現状においてその利用価値は極めて高く、事実多くの上級学校ではそのスコアが本番の試験に代替するものとして扱われています。

本来であれば、この日を避けたスケジューリングを行うのは「教育関係者」としては当たり前すぎる話なのです。

部活動を優先したい人を否定はしない

部活動やこうした引退試合などを優先したいと考える人を否定するつもりはありません。

現在の学校現場ではそうした人たちは減少しつつあるようですが、いまだ大きな勢力を誇っています。

しかし、それが「学校」という場所で行われるのである以上、優先順位は言うまでもない、という事実を書いているだけなのです。

そしてこの手のブッキングなど細かなトラブルに対する配慮や交渉、調整、謝罪、もろもろによって現場の教員が疲弊していくのも事実です。
(往々にしてそうした業務を発言力の無い若手教員へ押し付ける傾向も顕著です)

仮にこれが地域移行した部活動やスポーツクラブであれば、団体の方針は自由ですし、参加者も自分の優先すべきものを選択すればよいでしょう。

しかし残念ながら「学校」なのです。それを忘れてはなりません。

「学校」という教育機関が「学び」という本分を忘れた結果が、教育の崩壊を生むもっとも大きな原因となっているように感じるのです。

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