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教員の自腹負担問題:現状と解決策の模索


教員の自腹負担

学校文化の大きな特徴として上げられるのが、授業における教員の裁量の大きさです。公立学校の場合、昨今は規制が厳しくなっているようですが、それでも民間企業と比較すると自由があることは間違いないでしょう。私立学校の場合、学校の方針によって差はありますが公立よりもさらに裁量権が大きい傾向があります。

必然的に授業で工夫をすればするほど様々な道具や小物なども必要となってきます。しかしそうした小物の代金を公的に請求することは非常に面倒となります。クリップやクリアファイル一つを購入するのに何枚も申請書、報告書などを書かなければならないでしょう。加えてどれだけの分量が必要かも不明確ですし、学校購入の場合は決まった業者を通す必要があるケースも多いようです。

手間に対してのリターンが少なすぎるために教員自身が自腹で購入し、使用するという例は枚挙に暇がないほど全国に存在すると言えるでしょう。

そんな中でその習慣に疑問を投げかけるような記事が上がっていました。

公立小中学校の教職員にこんな調査をしたところ、回答した約千人のうち、4人に3人以上(75.8%)が自腹の経験があった。回答者の半数以上が自腹の理由や思いを自由記述欄に書き込んでいた。

どうやら7割5分の人が自腹経験があると答えているそうです。現場での素直な感想で言えば、これよりもさらに多いのが実態ではないかと思います。

教員の自腹を無くすことは可能か

教員の自腹に関しての様々な考えがあることは理解できます。教育現場での実感的にはこれを全くゼロにしてしまうと教育機会の大きな損失になる可能性があります。その場で、や明日授業で使いたい、といった活動の多くが制限を受けてしまうからです。

他方、社会常識や公務員、民間企業の常識に照らし合わせればどう考えても認められるような内容ではないのも事実です。また労働法規上の観点から考えても労働者が自腹を切るというのは不健全でしょう。

個人的には現状のままでは教員の自腹を全て無くすことは恐らく不可能だろうと思います。教育における柔軟性を確保する観点からも、自腹を現場から排除してしまえば授業の工夫の余地をさらに下げてしまい、教育の質の低下だけでなく教員の意欲の減退にもつながるのではないでしょうか。

事後報告で利用できる予算

問題なのは業務に対して自由に使えるお金や裁量権が各教員個人に無いということです。これは実は深刻な課題の一つです。教員の仕事は一般の労働者よりも大きな裁量権が認められています。その理由は教員の仕事が研究などを含む非常に管理が一元的に行うことが難しいため、とされています。

給特法による残業代の問題はそのあたりを根拠としています。教員としてのスキルアップや予習、生徒の管理、教材研究などを「労働時間」として分類するのが難しいために、残業という概念を無くして「教職調整手当」として支給しているのです。

これは一般の労働者であれば管理職的な立場や研究職に相当する扱いということになるでしょう。

ところがそうした裁量権が認められているにも関わらず、教員個人には教具教材などに対して金銭的に自由な裁量権が存在しません。そのために致し方なく自腹で購入するというケースが多いのではないでしょうか。

ではこれを解決するためにはどのような方策が考えられるか。その最も単純な解決方法の一つが事後報告で利用できる予算の確保です。教具のためにある一定金額までは利用してよい、とすれば教具、書籍のほとんどはそこから拠出することが可能です。

仮に月5000円、年間で6万円を支給するだけでも、現在自腹で教員が購入しているものの多くは代替できるでしょう。簡易的な会計報告やレシートのみで事後に処理ができれば、多くの教員は活用できる仕組みとなり得るのではないでしょうか。

規制をする場合の変化を受け入れられるか

とはいえそうしたやり口はあくまでも抜け道的な手法でしかありません。それを許さず、自腹を規制した場合はどうなるでしょうか。おそらくは闇購入的なやり口が横行することは目に見えています。そしてさらに厳しい規制がかかってしまえば、授業や教材に工夫をする教員は激減し、いわゆるサラリーマン的な教員が残るだけでしょう。

それは歓迎すべきことかどうかは私には不明です。良くも悪くも、戦後一貫して続いてきた教員文化を変えることにはなるでしょう。教員のなり手減少による教育技術の継承が難しくなり、またICTの導入による従来型の教育技術のそのもののプレゼンスが低下する中においては致し方ない方向性なのかもしれません。

正直なところ私自身、この話題に関して自分の中で明確に意見が決まっていません。あまりにも定着し過ぎた慣習であること、そして私もそうした水の中で長く生息し過ぎたからかもしれません。ただ、今回の話題はそうした自分の状況を振り返り冷静になる機会となっているのではないかとも思うのです。


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