見出し画像

「お土産を買わない」主義

行楽シーズンや長期休暇の後に、職場やサークルなどにお土産を買っていく人は多いようです。

私の職場や学級でもそうした光景はよく見られます。

ありがたいこと

もちろん、お菓子などのちょっとしたお土産をいただけることはとてもうれしいことです。

普段食べないような種類のお菓子を食べるのはそれだけで楽しいですし、ご当地もののお菓子のネーミングやパッケージには名物や偉人、史跡などをモチーフにしたものも多く、職場でのちょっとしたコミュニケーションを円滑にするツールともなります。

そういった中で思わぬ教養に出会えることもあるので、買ってきてもらえること自体は非常にありがたいことです。

見えない圧力になる

しかし、そうしたお土産を買う文化が浸透した職場は、買ってくることが不文律となり、強制力を持ち始めます。

特に職場の中で立場の弱い人や若手の職員などは毎度毎度買っていくことが義務になっていくでしょう。

そもそも観光に行くことは、様々なものを見て教養を深めたり、ゆったりと骨休みをすることが目的のはずです。帰省した場合も同様です。

にもかかわらず、毎回職場の誰それに何を買う、この前はこれを買ったから、今度はあっちにしょう、などと考えていたら折角の観光気分が台無しです。

さらに、こうしたお土産文化は、出張や修学旅行、部活の遠征のときにも買ってこなければならない雰囲気を醸成します。

仕事で行っているのに、どうして自腹でお土産を買う必要があるのでしょうか。

職務上必要ならば経費で出すべきですし(落ちるわけがない)、そうでなければ必要ないものということです。

机に一個ずつ配る文化

さらに学校の教員には、職員室の机にお土産を一個ずつ配る人間は気配りのできる人間である、という思想が蔓延っています。

私の職場ではほとんどありませんが、Twitterで「職員室」、「お土産」で検索をかけるとかなりの数がヒットします。

これを見るだけでも、日本中の職員室でいまだにこうした文化が残っていることがわかります。

コロナによる欠勤でも

こうした慣習が定着しすぎると、コロナなど、感染症などによる欠勤にも影響します。

しかし、病気などの場合、それは不可抗力であり誰しもがその可能性を持っています。

たまたまその人の番が回ってきただけで、次回は自分の可能性もあるのです。

しかし、お土産文化の根付いた職場では、迷惑をかけたというその一点で勝ってこざるを得ない空気感が発生します。

病気でつらい思いをした上に、気遣いだけでなく、手間と金まで使わせられる職場が良い環境であるとは決して言えないでしょう。

だから私は「お土産を買わない」

私は感染症が広まる前ぐらい、数年前から職員室にお土産を買ってくるのを止めました。

妻の実家に年に1、2回帰省していましたが、そのたびに頭を悩ませることはなくなりました。

もちろん、気遣いをする人を否定はしませんし、一律に禁止をすることも微妙な内容だと感じます。

私用で本当にお世話になったと感じた場合は、私も簡単なもの直接渡すことはあります。

また、気が向いたとき(+自分が食べたいとき)には饅頭などを差し入れすることはあります。

ただ、職員室に持っていくのを止めた、ということです。

職場で無駄な気遣いをすることを止めることが、少なくとも私にとっては業務改善につながると思うからです。

だから、私は「お土産を買わない」のです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?