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神大バドサー事件は現代日本が抱える問題を可視化したという一考察


神戸大学のバドサー大暴れ事件

ここ1週間ほど、神戸大学の学生が宿泊していた旅館で破壊行為を行っていたことが話題になっています。

この動画を見た限りでは非常に質の悪い暴れ方をしていたようで、おそらく物損被害だけでなく、営業不能な期間の機会損失まで考えると金銭的被害は相当な額になるでしょう。

さて、ではこうした学生が品の無い酒の飲み方をして暴れる事案が珍しいのか、と言われるとそうではないように感じます。

今回の神戸大学の場合、動画に残っていること、それをSNSで拡散したことなどが問題が大きくなった原因にあるようですが、こうした事件自体は様々な大学で起きているものです。

道徳は受験教科に無い

今回の神戸大学のような難関大学の場合、留飲を下げる人がいます。

これは学歴コンプレックスをこじらせた人などに多く見られる現象で、先の例に上げた早稲田や明治などの事件を捉えて、偏差値の高さを関連付けるようです。

SNS上でも「偏差値が高いのに知能指数は幼児レベル」的な発言をする人が少なくありません。

しかし言うまでもないことですが、大学入試にはモラルや倫理観を問う問題は存在しません。彼らが人よりも得意だったのは英語や数学であって、道徳が得意であったわけではないからです。

至極当然ではありますが、高偏差値な大学生が高いモラル意識を持つわけではありません。

恐らくですがこうした事件はどこの大学でも大なり小なり発生している事案です。ただ、世の人々やマスコミはこうした受験エリートの進学する大学であるほどに注目を集めやすいために今回のように神戸大学のように大事になるのでしょう。

難関大学進学者ほどモラルは高い傾向が…

しかし矛盾するようですが、難関大学ほど、モラルが高い学生が多いという傾向も否定はできません。

進学校の方が間違いなく生徒は順法的で常識的であり、困難校はそれとはまったく異なる生徒が多いのも事実です。

より正確に言えば、難関大学の学生はモラルが高い行動をとれる人間が多い、という表現が適切かもしれません。

いわゆる勉強のできる人、世間一般に評される「頭の良い」人は功利的な損得計算に長けています。

したがって難関大学の進学者できる学力と人格が本質的に優れていたり善良であることは決して相関性は強くないのですが、そうした人たちが
あたかも「人格者」や「善良」であるように振舞うことを得意とする人であるというのもまた事実です。

恐らく今回の事件に関わる学生たちのほとんどは、少なくとも高校まではそうした比較的、人格的で善良な生徒を演じてきた人たちなのでしょう。

なぜ大暴れするような愚行を…?

ところがこうした個々人の自身の中の良識やモラルを基準に行動せずに、功利主義的に道徳的行動をとる人たちは、その時その時の判断基準を自身の中ではなく所属集団に依存する傾向があります。

今回の場合、バドサーという比較的モラルの低い集団であること、酒の場であること、といった要因が重なり、彼ら自身のモラル基準の低下を招き今回のような大乱行に繋がったのでしょう。

今回の事件においてバドサーの神大生を強く批判する、愚かであると罵る人たちが少なくありません。

言うまでもないことですが、彼らが犯した罪に関しては償うべきであり被害者に謝罪し、損害に関しては賠償をしなければなりません。

しかしそれとは別の視点として、日本人の多くがこうした犯罪やモラル逸脱行為に手を染めやすいことを自覚すべきかもしれません。

日本人の多くはその善悪判断を自身の中に軸として持っている人は極僅かです。かくいう私も含め大半の人達は所属集団のそれに依拠している人は少なくないのではないでしょうか。(日本人だけではないかもしれませんが)

そうした自身のモラル基準のあいまいさ、集団意識の中で無意識に反社会的行為を犯してしまう危うさを今回の事件は示してくれたのではないでしょうか。

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