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大学入試の小論文の多くは、樋口式の「型通り」で十分という話

小論文を入試に取り入れる大学が増えています。

推薦型や総合型の選抜方式では特に一般的になりつつあります。

その形式も様々で、事前作成提出の上、面接で詳しく突っ込んだ内容を聞くパターンから、当日時間制限で書くパターンや受験者同士でディスカッションをした後に作成に入る形式まで存在します。

少し前に小論文の入試形式が受験者の能力を判定するのに十分機能しているという内容の記事を書きました。

とりわけ、現時点で身に着けた知識や学力よりも、大学に入ってから単位を取得するだけの能力があるかの判定という意味で極めて効果が高いと言えます。

「型通り」に書かせることへの批判

小論文の型を決め、その型どおりにトレースさせると言えば「樋口式」で有名な樋口裕一氏です。

彼の基本的なスタンスは、以下の書き方をベースにしています。

  1. 問題提起

  2. 意見提示

  3. 展開

  4. 結論

問題提起を行い、それに対する反対、賛成などの自分の立場を書き、その後歴史的背景や問題の原因など知っている知識や現状の問題点を書く。

最後に最終的な賛否と今後の努力目標などで締める、という書き方です。

樋口式の「型通り」への批判

こうした樋口式の書き方に対する批判は非常に多く見られます。

Twitterなどで拾っていくだけでも大量に存在し、特に小論文を専門とする指導者などからの批判が非常に多いようです。

代ゼミや東進で講師を務め、論理エンジンなど文章作成のスキーム作成を行う出口汪氏なども著書の中で「型通り」の書き方に対し批判的なことを書いています。

こうした批判に目を通すと、なるほど、その批判は決して的外れではなく、むしろ正鵠を得ているように思います。

実際のところ、「型通り」の小論文は基本的に論理構造などを理解せず書くことが可能であり、知識と語彙をあらかじめ決められた文章構造に流し込むだけの作業を行っているだけに過ぎないからです。

果たして論理構成を求める試験はどれほどあるか

しかし、実際の大学入試で論理構成までを求める大学はどれほど存在しているでしょうか。

おそらく、小論文入試を実施しているであろう大学の大半は偏差値50以下です。

こうした大学に進学する生徒は決して論理構成能力が同世代の高校生と比較して高いとは言えません。

にもかかわらず、彼らに小論文の試験を課すのは最低限の知識や語彙を持ち、当該分野に対して興味関心を抱いているかを確認するためです。

そうした試験の意義を踏まえれば、決して樋口式の「型通り」の文章作成法は否定できないはずです。

当然ながら、比較的入学難度の高い文学部や法学部など文章作成を本分とする学生を選抜する場合や、慶応SFCなどの高度な論理性を求める場合はもちろん例外です。

しかし、多くの大学が入学者に求めるレベルは、それなりの文章をそれなりに完成させる能力でしかありません。

それらを身に着けるために、樋口式の「型通り」の小論文作成法を用いることは決して蔑まれるようなものではなく、むしろそうした人たちへの論理性や文章作成への道筋を示す最初の手がかりとさえ言えるのではないでしょうか。

医療系などでの論文、作文入試は少なくない

医療系などのコメディカルスタッフの養成課程などでは特に小論文の試験を課しているケースが多いように感じます。

それらの大学は、文章作成に関する高い論理性を受験生に求めているわけではなく、あくまで医療や人助けに対する視点や姿勢を問うているに過ぎないのです。

そうして考えれば、「型通り」に知識や関心を入れ込み、シンプルに単純に出題者へ自分の適性を伝えることはむしろ受験において最も正しい道だとさえ言えるでしょう。

理想論で語るのではなく、地に足のついた議論をするのが現場の人間の仕事

学校現場の教員の多く、特に受験生の小論文指導に当たる教員の多くは理想的な小論文の作成を目指すのではなく、あくまでも実際に合格できるだけの文章を書かせることが第一目標なのではないでしょうか。

仮に大学で小論文作成を指導するというのであれば、高校に丸投げしたのちに被害者面をするのではなく、きちんと論理構成能力を磨くための指導方法を模索するべきでしょう。

そうした意味で、樋口式批判を行っている小論文指導の達人の多くは全くの見当外れであり、非常にガラパゴスな世界観で弱肉強食を演じているようにしか見えないのです。

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