「ラーケーション」という仕組みこそが主体的でも対話的でもなく、学びから遠い行為
愛知県では「ラーケーションの日」なる制度が取り入れられるそうです。
「ラーケーション」とはlearning(学習)とvacation(休暇)を組み合わせた造語で、愛知県内の公立の小・中・高・特別支援学校で取り入れられるとのことです。
具体的には保護者の休みに合わせ年に3日まで子供はラーケーションを取得することで、家族一緒に社会学習をする事ができ、その間の学校が欠席にならないという仕組みとなっています。
平日休みで社会学習をする行為の是非
個人的には平日休みの日に遠方へ出かけ、普段の教室では得られない学びを体験する事は子供の成長や学力の向上に極めて有効だと考えています。
平日にしか行けない場所や混雑する場所へ行く事はもちろんですし、平日で多くの人が仕事をしている街の様子を見る事も大きな学びとなります。
また、保護者が平日にしか休めない職業であれば言うまでもないことですし、そうでなくても平日に有給を取得して子供と時間を作る事ができる環境を整備したという事は、教育の観点だけではなく、労働問題という意味でもその制度の意義自体は否定できないでしょう。
親の意識によって子供の学びに差が出るか?
こうした制度についての問題点は、保護者の教育意識によって子供が得る学びの質に大きく差がつくということが挙げられます。
確かに保護者の意識が低ければテーマパークに連れて行くだけ、といったことも考えられます。あるいは親の趣味に付き合わせるだけ、といった事もあるでしょう。
しかし、個人的にはその点に関しては今回の制度に対する否定の根拠になっていないと思います。
そもそもが個々の子供達を取り巻く家庭環境は毎日の生活や学習の管理、文化資本の継承などにおいて大きく差がついています。
今更、年に3日の休みにおける学びの差を議論して、残りの362日の事を無視するというのは本末転倒でしかありません。
問題は「ラーケーション」という仕組み無しに休みを取れないという共通認識
問題の本質はそこではなく、「ラーケーション」という仕組み、大義名分無しに学校を休んではいけないという保護者の思い込みと社会全体に蔓延する空気感です。
そもそも義務教育における教育を受けさせる義務は、必ずしも学校という制度に依存しなければならないわけではありません。
したがって、家庭での教育によってその義務は十分に果たす事が理論上は可能であり、必ずしも毎日学校に行かなければならないわけではないのです。
とはいえ家庭教育だけで学校が行う全てを代替し得るかと言えばそれは困難です。しかし年に何回かを家庭での教育に置き換える程度の事を
保護者の自己判断で行なうことに何の問題があるでしょうか。
こうした制度が無くとも、自ら家庭教育の必要性を判断し、学校や教員に対して相談して決定する事が出来る事、そしてその姿を大人や社会の有り様として子供に示す事こそがこれからの教育、文科省が金科玉条に掲げる「主体的・対話的で深い学び」のフォーマットではないのでしょうか。
だからこそ、今回の愛知県の「ラーケーション」の制度化は現況の打開策としてはやむを得ないのかもしれませんが、決して好意的に受け入れてはいけないとも思うのです。
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