「滅私奉公」を「美談」として語る恐怖
隣県の話ですが、このような新聞記事が話題になっていました。
2学期のスタートを気持ちよく切って欲しい、という担任の先生の熱意と思いやりを伝える素晴らしい話…
そんなわけがありません。こうした記事を掲載し、賛美する南日本新聞の社内の体制を推して知るべし、でしょう。
それは「業務」なのか
学校の教員の仕事は「業務」と「業務外」の境目が不明確です。
授業の準備自体は業務ですが、それをスキルアップを伴う学習行為と見なせば業務外ともなります。
指導要領の変更によって変化した指導方針や新しい単元、教材などの予習や教材の準備、テストの作成などは業務とも言えますが、実際には業務時間内には終了せず、時間外や持ち帰り仕事となっている状況が多いのではないでしょうか。
とはいえ、こうした事例はホワイトカラーの職種には大なり小なり見られるものであり、ことさら教員が大変であるかのように吹聴するつもりはありません。
(もちろん、こうした労働時間を評価する制度を作ることは必要ですが)
しかし、この記事の先生が行っている「黒板アート」は「業務」と言えるでしょうか。
勤務時間外に、2時間をかけて行う黒板への自己満足な落書きを「業務」というのはあまりにも常識外れだと私は感じます。
この話を糾弾したいわけではない
こうした黒板アートは行事などの特別な日だけ、ということが記事には書かれています。
とはいえ、年に10回程度は2時間かけて勤務時間外に、チョークを大量に使用して書く自己満足の絵を描くことを美談とするのは甚だ疑問です。
ただ、勘違いをしてほしくないのは別にこの記事に出てくる方を批判したり否定したり、糾弾したりしたい、という意図はないということです。
確かに、こうした教員を同業者として全く好意的に感じないし、人気取りの浅ましい行動としか認識していません。
教員という仕事は一人親方的な性質が強いため、同じ学校内にこうした人がいたとしても、問題化してやめさせるようなことは、少なくとも私はないでしょう。
この記事にあるアートが生徒や保護者から評価を受けていることは間違いないでしょうし、何らかの意義のある行動なのかもしれませんし。
まあ個人的に仲良くなれないタイプだろうことだけは確かですが。
「滅私奉公」を「美談」として語るな
問題なのはこれを美談として報じ、評価しようとする新聞社や記者の意識です。
こうした記事はそれなりに拡散力を持っています。
黒板アートで生徒を喜ばせ、生徒が学校に来たくなるような環境を作る「美談」を喜ぶ人は決して少なくありません。
そうした人たちが内外から圧力をかける根拠として十分な効果を発揮するでしょう。
こうした誰かの無償の負担によって集団が恩恵を受ける状態を維持するために、「滅私奉公」を「美談」として語る文化が日本には数多く残っています。
学校文化と紐づけされる
これらの多くが学校文化と紐づけされています。
肘を壊しても最後まで投げきる投手の話などはその典型的な例でしょう。
こうした文化を令和になっても無自覚に発信し続ける新聞社や記者も十分に問題です。
しかし、そうした人たちの無意識を醸成してきたのは学校という組織や、そこに根付いた文化なのかもしれません。
であればこそ、こうした理不尽を否定する考えを学校現場の中から発信していかなければ、と強く感じたのです。