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アンチ共通テスト派の抜けられない教科分断思考

一昨年度から始まった、大学入学共通テストの内容に関して、批判的な発信が方々でなされています。

アンチ共通テスト派の主張

その批判の内訳の大半は以下の内容に集約されます。

  • 長い文章や前提条件で誤魔化して、教科の本質的な学力を問えていない

  • 平均点が低すぎて、学力の差が表れていない

ここからさらに、令和7年度からの「情報Ⅰ」の導入に関しても、北海道大学や徳島大学が配点をなしにすることが話題になっています。

この件に関して、賛成している人達は共通テストの現状に対して強い批判を抱いている人と重なるように見えます。

共通テストは教科横断型というよりも、教科分断を否定した試験

共通テストの批判における最も強い意見は「教科」の試験として成立していない、というものです。

これに近いことを多くの教科の指導者、専門家がそうした意見を述べています。

上のツイートは駿台予備校の数学科、永島先生の発言です。

2次学力の全く異なる生徒の共通での得点が同じであり、数学の試験として機能していない、ということを述べられています。

しかし、実は大学入試センターの意図はむしろその点にあるのではないかと私は考えています。

共通テストの数学の場合、教科としての試験ではなく、日本語能力とそれを用いた数的処理能力を主に問う試験、教科を横断するという概念から一歩進んだ、教科の壁を取り払った試験へと意味合いが変わっているのではないでしょうか。

ただ、現状のカリキュラムの観点から、便宜的に教科名を付けた試験を行っているだけなのではないか、と。

教科学力を問いたければ2次試験で問えばよいというスタンス

大学入試センターや中央教育審議会の基本的な方向性は、汎用的な言語能力を自然、人文、社会科学に活用する力を問うことにシフトしているのではないか、ということです。

そもそもダイレクトな教科学力そのものは学者や研究者以外にはそれほど必要な要素ではありません。
(これは教科学力が必要ではない、という意味ではありません)

そのため、旧帝大や大学院重点化大学などのように、研究者育成に力を入れる大学が入試段階で教科学力を詳しく問いたいという場合には2次試験でどうぞ、というスタンスのように見えます。

「情報」こそが入試改革の本丸

Twitterなどで共通テストの「情報」導入に関する反応を見ても、従来型の教科学力を重視したスタンスの人には、「情報」という教科が試験に課されること自体に否定的な人が多いようです。
(というよりもその意味を理解していないように見えます)

大学での学びに「情報」という教科の学力は必要ない、という考えを書き込んでいる人も多くいました。

こうした人たちの学力観は、学力とは教科ごとの分断されたもの、のようです。

そして、「情報」こそがそうした考え方に一石を投じる存在なのです。

そもそも新課程の「情報Ⅰ」の教科書を読んだことがある人はどれほどいるでしょうか。

「情報Ⅰ」の内容は、①情報社会の問題解決、②コミュニケーションと情報デザイン、③コンピュータとプログラミング、④情報通信ネットワークとデータの活用の4項目で構成されています。

検索やメディアリテラシー、通信機器の基本的な知識や社会的な役割など多岐に渡っており、それらは今後あらゆる学習を行うための基礎となる能力なのです。

数的処理能力や言語読解能力、プログラムなどの最低限の英語の知識、「情報」には共通テストが聞きたい受験生の能力をすべて聞く要素がそろっているのです。

令和7年度からの新共通テストの本丸は「情報」の試験であり、最終的に大学入試センターは「共通テスト」を「情報」の試験のみで成立させる目標があるのではないか、とさえ疑うべきです。

どちらに転ぶか、現時点では判断できない

教科ごとに免許が存在し、教科のプロとして授業を行ってきたのが学校教員です。

しかし、その学力観が揺らいでいます。

それは他教科を横断的に学ぶ、という従来型の発展形的な考え方ではなく、教科の垣根そのものが意味をなさなくなりつつある、ということです。

しかし、それと同様に既存の教科によって分断された学力観も根強いようです。

今回の共通テストの傾向や「情報」導入が、英語外部試験や高校在学中に数回受けられるという到達度テストなど、保守的な層によって頓挫した改革の轍を踏むのかどうか、文科省や大学入試センターの本気度が問われてくるでしょう。

私個人としては、新しい学力観に期待はしていますが、現場の人間としてどちらに転んでも問題ないように準備をするのみです。

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