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「重大な被害のおそれのあるいじめは学校から警察に通報を」という通知を文科大臣が行う異常性

ここ数週間にわたって話題性のある発信をし続けている文科大臣の永岡氏ですが、今度も興味深い発信をしました。

閣議後の会見において、重大な被害につながるおそれがあるいじめが発生した場合は、直ちに学校から警察に通報するよう求める通知を、全国の教育委員会などに出す、という方針を明らかにしたということです。

「いじめ」は刑事事件に相当するケースが多い

一般に「いじめ」と呼ばれるものの多くは暴力を伴い、大人であれば刑事事件として処理されるものです。

ところが、これまで学校という謎の組織が内部で処理し、もみ消してきました。

学校は教育機関であり、司法機関や警察機構ではありません。

にもかかわらず、学校内の処分によって刑事責任や民事上の責任を曖昧にしてきました。

こうした脱法的な扱いに対し、文科大臣が「通報せよ」という通知を出すことは大きな進歩と言えます。

この通知の存在はいじめやその被害に悩む方にとっては朗報でしょう。

また刑事事件となることで秘密主義的に決められる学校内の処分をよりオープンにするきっかけにもなるのではないでしょうか。

「重大な被害のおそれ」という限定付きの文言

ただ、この大きな一歩に対して一抹の不安が残るのも事実です。

それは「重大な被害のおそれ」という文言です。

こうした限定的な表現をつけてしまう場合、予想される被害の程度によっては通報の必要がない、という解釈が可能だからです。

というよりもむしろ、学校側が通報をしなかったケースにおいては間違いなく「重大な被害になると予見できなかった」という言い訳を許す形にしかならないでしょう。
(この場合は裁判でその予見性に関しても争点になるでしょう)

制度設計上も、一律に「いじめ」と認識される事案に対しては通報義務があるとした方がシンプルなはずです。

教員や校長の裁量による人治主義的な余地を残しても、生徒や保護者には不安や不満を、現場教員に関しても責任がのしかかるだけでしょう。

そもそも「いじめ」の実態自体が見えにくいために問題化しているというのが現状であるのだから、可能性があった段階で外部機関の助力を乞う方が早い解決につながるはずです。

通知を出すことが話題になる異常性

一方でこうした通知を出すことや、警察へ通報するという方針を打ち出すことがメディアで話題となること自体が、日本の教育制度や教育行政の異常性を如実に表していると言えます。

本来は、暴力事件やそれに類する事件があれば警察に通報し、その後司法的な処分を行うのが法治国家における真っ当な解決方法です。

そうした正当なやり方を無視して、学校独自の処分や解決、法律に則っていない手法で問題に対処してきた結果が、今日のいじめ問題でのトラブルの多くに繋がっているように思います。

そして、その背景には教員に教育だけでなく、様々な役割を押し付けてきた社会全体の無責任さや、専門外の業務を教育活動と銘し嬉々として引き受けてきた現場教員の職業意識の低さがあるように見えます。

自分の領分をわきまえ、教育活動に専念することが教員には必要なのではないでしょうか。

そして、それこそが教員不足の解決の第一歩ではないかとも思うのです。

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