【題未定】結果を出す秘訣は「頑張らない」こと【エッセイ】
進学校の教員をしていると大学進学に向けて勉強をする生徒の姿を比較することができる。何年もこの商売をしていれば、自ずと結果が出るタイプと結果が出ないタイプに関してもある程度の方向性は見えてくる。
もちろん必ずしも確定的な要因が見つかるわけではない。何事においてもそうだが、こうすれば確実に成功するなどという都合の良いロジックは存在しない。仮にそうしたことを口にする人間がいるとすれば、誇大妄想狂か、さもなければ詐欺師のいずれかだろう。
とはいえ大学受験で成功する、ある程度本人の望むような結果を出した人間に共通点があるのも事実だ。この手の共通点は、実行すれば必ず結果に結びつくという必要条件というわけではない。しかし十分条件として成功の要因の一つとしては十分に参考になる方針ではあるだろう。
ではその共通点はというと、端的に言えば「頑張らない」ことだ。東京大学や国立大学医学部といった最難関の大学へ進学する生徒のほとんどは「頑張っていない」のだ。
こう聞くとそんなわけがない、頑張らないで受かるわけがない、やはり生まれた環境と金なのか、といった反論は容易に想像ができる。しかしここで言いたいのはそうした客観的な状況の議論ではない。あくまでも上手くいった生徒の主観的な意識における「頑張る」という認識のことについて話しているのだ。
受験成功者の生徒とそれ以外の生徒の最も大きな違いは、主観的な「頑張り」に対しての認識だ。まず前提として、受験成功者のほとんどは間違いなく他の生徒たちよりも数倍の努力をしているし、勉強にかけている時間は遥かに上回っている。しかし、彼ら自身はそのかけたコストを負担に感じていない。(少なくともその他生徒と比較して、負担感は低い)一方で一般的な生徒の多くは、勉強時間を確保しただけ、課題や予復習をこなしただけで負担に感じている。要は同じ量、あるいは数倍の量をこなしているにも関わらず、一方は「頑張っていない」のに対し、もう一方は「頑張っている」と考えているということだ。
ではこの差はどこにあるのかというと、簡単に言えば習慣化、ルーティン化の巧拙だろう。できる生徒は普段の学習を習慣化することに長けている。そこには時間設定や分量配分、規則正しい生活時間の確保など複数の因子が複雑に絡み合っているため、一つの要因を見つけ出すことは難しい。しかし、この習慣化の巧みさこそが上位生徒を上位たらしめる要因であるのは間違いない。それこそ、2時間程度の勉強時間を生活の隙間の中に埋め込み、日々の生活の中に溶け込ませることなど容易な人間ということになるだろう。
一方で一般の生徒はこうした習慣化を不得手とする者が大半である。彼らは1時間の勉強時間を確保のにも自分のやりたい何かや別に充てていた時間を削っている。この負担感は大きく、彼ら自身の感想としては「頑張った」という表現がしっくりくる時間の使い方だろう。方や数時間の勉強時間の存在を意識しない、「頑張っていない」生徒との実際にこなしている分量の差は歴然としている。
繰り返しになるが、本稿において「頑張らない」生徒は決して努力をしていないわけではない。むしろ多くの生徒よりもその努力量は大きいと言える。しかしだからこそ、その分量をこなすためには「頑張っていない」という自身の認識が無しには成し得ないということだ。
難関大学に進学した生徒のその後に関して、一概に彼らの人生の成功、失敗を論じることは難しい。ただ、受験期に「頑張っていない」努力家は難関資格やその後のキャリアアップにつながっているという話を聞くことは多い。「頑張らず」に習慣化をするというスキルがそのベースになっているのは間違いないだろう。
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