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【題未定】暗黒時代である自身の高校時代における数少ない後悔【エッセイ】

 私は高校時代にあまり良い思い出がない。以前にも少し触れたが、私の育った家庭環境は決して悪い場所ではなかったが、こと学習という面に関しては不利な条件だった。両親ともに大卒ではないし、両親以上の親族で大卒者もいない一族、さらに住んでいる地域は農家が多いために高卒で就職が普通、という価値観の中で育った。

 幸いな事かどうか、母は比較的都市部から嫁に来たこともあり高校進学までに関しては塾に行かせるなどの教育環境を準備してくれた。それ自体は感謝しているが、いかんせん生まれ育った環境における当たり前の感覚が大学進学希望者のそれとのギャップには苦しんだ。

 特に高校に入ってからは顕著だった。進学校に入学してしまったため周囲には医者や弁護士、経営者などの子供が多くいた。育ちが違いすぎるせいか、彼らと上手く交流をすることができなかった。金銭感覚から勉強に対する意識、将来への展望などの違いに全くついていくことができなかったのだ。必然、周囲から離れ一人で生活することが増えていった。

 とはいえそのこと自体は現時点ではその記憶に関して悔やむことはない。仕方がなかったと消化もできている。何よりその劣勢を覆すことのできない自身の無力さや克己心の低さを十分に自覚している。

 そうした高校時代の記憶の中で一つだけ心残りがある。それは高校時代に短期留学をしなかったことだ。私の母校では英国のパブリックスクールであるイートン校やハロウ校と提携し夏休みの間に寄宿舎を利用して留学するという制度が存在した。この話を高校1年生の入学後すぐに聞いて、当然ながら私は手を上げなかった。現地で英語を話す自身も無く、遠方、それも海外に行ったこともない私は手を上げる勇気が無かった。当時の金額で100万円弱するという費用も自分の勇気の無さを肯定する言い訳となった。しかし、それ以上に手を上げ、現実に渡英するという選択肢が頭に浮かばなかったのだ。

 あの時手を上げていれば自分の今が変わったかも、といった都合の良い妄想はしていない。そもそも選抜であったために自分が選ばれる可能性は低いこともあっただろう。しかし、大人になった今考えると、パブリックスクールの寄宿舎で数週間生活できるという体験は、おそらく大人になってから代替できるものではないのでは、という後悔をすることがある。高校生という多感な時期に海外で、しかもそうした特殊な学校で生活ができる機会は決して無駄ではないはずだ。

 コロナ禍の前よりは下火ではあるという話だが、大学生の短期留学は市民権を得るようになった。昨今は高校生向けの留学プログラムをかつてと比較するべくもなく充実している。そうした影響もあり、最近は生徒には短期留学を積極的に勧めるようになった。あの当時よりも確実に留学のハードルは下がっている。若者だからこそ留学という選択肢を残してほしいという思いは強まるばかりだ。

 そして何よりもあの時に手を上げる勇気、打算無しに挑戦する豪気さが無かった自身が悔やまれるのだ。

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