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ガーシー除名に見る日本のムラ社会的閉鎖性

先日、旧N党(もはや現在の党名が何かは不明です)のガーシーこと東谷氏は参議院本会議で除名処分となり、議員資格を失いました。

この処分そのものに関して、個人的には妥当な処分であろうという感想を抱いてはいます。

懲罰処分の「議場での陳謝」を行わなかった以上、そこから除名の流れは致し方ないでしょう。

一度も登院せず、おそらく今後も国内に戻ってくる可能性は低いと考えられるからです。

しかし、一方で何年にもわたってほとんど登院していない有力議員が処分を受けずに議員としての身分を保持していることに対して公平性の観点から疑問を感じる部分もあります。

選出後、半年で除名をするという異例の早さ

ガーシー氏の国会議員としての資質に関しては、立候補時点から疑われる部分が多かったように思います。

芸能人や富裕層に対してアテンドを行うというその職業としての合法性や、職業上知り得た個人情報を暴露するという倫理上の問題を考えれば、国会議員として相応しいとは到底言えないでしょう。

しかし、30万票近い国民の信託を受けた国会議員であり、登院しないということを明言して当選していました。

さらに、国会議員となったのは昨年、2022年の夏の参議院議員選挙であり、彼は直近の民意を反映した議員でもあります。

そう考えると、約半年で除名を行うというのは非常に特別なケースであり、相当に早い処分でしょう。

国会を欠席する議員たち

では、他の国会議員は本会議に出席をしているのでしょうか。

選挙違反事件で逮捕された河井案里参院議員は8カ月にわたって登院をしていないにもかかわらず、歳費が支払われ、しかも返金の義務が無いとされています。

山崎正昭元参院議長も7割近い本会議を「よんどころのない(と本人が主張する)事情」で欠席をしていることが判明しています。

私の個人的な感覚では、国会の本会議は儀式的な意味合いも強く、本会議で欠席をしたから仕事をしていないという認識はありません。

しかし、政権与党や巨大野党の議員ならば大目に見て、ガーシー氏のような泡沫政党の議員の場合はすぐに懲罰処分の「議場での陳謝」を求めるのはいささか公平性を欠いているようにも見えます。

ムラ社会における老人の面子

今回の除名までの異例な早さのポイントは『懲罰処分の「議場での陳謝」』を行わなかったことにあるように感じています。

ガーシー氏のような新参者が議会や議員の権威を汚し、ムラ社会における老人たちの面子を潰したことが、これほど早い除名に至ったのではないでしょうか。

こうした老人の面子を潰したために報復を受けた事例は枚挙に暇がありません。

プロ野球球団買収において、読売新聞社長の渡邉恒雄氏に挨拶をしなかったために頓挫したホリエモンはその典型例です。

彼はその後もニッポン放送買収に動き、産経グループや日枝氏の虎の尾を踏むことで、最終的には懲役刑を受けています。

ここ最近も日経新聞を退社した後藤達也氏を起用して番組を制作していた「日経テレ東大学」の終了などは同様でしょう。

日経新聞からのコンプライアンス上の問題という名の圧力は、ムラ社会の老人の面子を潰した結果の理由付けに見えます。

ムラ社会の閉鎖性がイノベーションを阻む

日本社会におけるこうしたムラ社会的閉鎖性がイノベーションを阻んでいます。

何らかの新規事業や新規参入者は、老人の面子を保つために御用伺いをする必要があるからです。

そして業界の不文律を侵さずに、既存の枠組みを崩さないような最新の注意を払わなければ手痛いしっぺ返しを受けることになります。

この手の慣習はあらゆる業界に見られ、それがさまざまな業界の風通しを悪くしていることは疑いようのない事実です。

もちろん、そうした不文律が業界の秩序を保ってきた時期もあったのでしょう。

しかし、グローバル化が進み、海外企業が自由に参入する時代においてはそれらは足枷でしかなくなっています。

とはいえ、一朝一夕で変わるものではないのも事実です。

まずは、自分自身がそうした面子を保つ側にならないように気を付けたいところです。

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