見出し画像

「やりたいことを頑張る」能力と「やりたくないことを頑張る」能力


成田修造氏の発言

イェール大学のassistant professorである成田悠輔氏の実弟で、起業家として知られる成田修造氏のXでの発言が話題になっています。

称賛する声もある一方で、城北中高から慶應義塾という本人の経歴を見て下位層への解像度が低いといった批判もあるようです。

成田修造氏は父親が失踪や母親の病気など苦労をされているようですが、一方で学校環境自体は優秀な人に囲まれて育ったこともあり、本当の意味での下位層への理解が不足していることは否めません。

とはいえ、今回のツイートは中学受験に血道を上げる層を対象にしたものとと読めば、ある程度の納得感はあります。

根強い偏差値至上主義

新しい学力や創造性など、様々な言い方で学力を捉える動きが近年活発化していますが、それでも偏差値至上主義は根強く残っています。

受験現場にいても、やりたいことや学風よりも偏差値で大学を選ぶ風潮は生徒にも保護者にも存在します。

多くの保護者は口では好きなことを、納得する進路を、と言いますが、面談の際に偏差値帯の低い大学(しかし、内容自体は本人の希望に近い)を提案しても明らかに顔が曇り、別の理由で断られるなど受け入れられたことはほとんどありません。

文系ならばまだしも、理系で研究職を希望しているのに地方国立大学よりも首都圏私立大学を志望するような生徒の多くは、偏差値を大学の価値判断基準としています。

就職先の偏差値表という謎の存在

中高や大学に関しては模擬試験などの点数によって偏差値を設定することは十分に合理性があります。

平均値を50、標準偏差を10に変換して求める指標は、個別の試験の得点を調整するのに優れた指標だからです。

しかし、就職ではどうでしょうか。

就職試験には明確な得点も統一的な試験も存在しません。したがって偏差値を求めることはできませんし、意味もありません。

ところが偏差値というランキングに囚われた人たちは無理やり、主観的な評価で偏差値に置き換えるようです。

ヒューマンデザイン研究所

上の表は5chなどでも出回っている就職偏差値表です。偏差値競争の沼に嵌った人たちは就職先でさえ統一的なランキングにして、その順位を競うことから抜け出せないようです。

この表を見ながら上から下に就職先を選ぶ人生をどう思うかは人それぞれですが、少なくともそれはやりたいことでも楽しいことでもないでしょう。
(そしておそらくは入った企業内で、上下のランク付けとその順位上げに勤しむのでしょう)

起業家は「やりたいことを頑張る」能力に長けている

成田氏は以下のようにツイートしています。

偏差値とかではない、自我の軸を持つことに集中した方がいいんだと思うんですよね。実際、周りで、「面白いなー、楽しそうだなー」っていう人生やってる人たちは、最近の高学歴IT起業家を除いて、ほとんどが、その受験戦争に巻き込まれずに育ってます。これは、大人になってみてすごく実感する、世の中の面白い真実。

成田氏は学生起業家からスタートし、クラウドワークスの経営者として活躍した人ですから、彼の基準をそのまま受け入れることは単純には出来ないでしょう。

彼や周囲のレベルの人たちは面白いことや楽しいことのために人並み以上の努力をする人たちだからです。

そこから考えるに、成功する人の多くは「やりたいことを頑張る能力」が高いと言えるでしょう。

偏差値ランキングは「やりたくないことを頑張る能力」の指標

それと対比的なのが偏差値ランキングです。

このランキングは「やりたくないことを頑張る能力」の指標と言えるでしょう。

もちろん受験勉強が好き、楽しいという人もいるでしょうし、やっているうちに楽しくなるということもあるでしょう。

しかし、多くの人たちにとっては受験勉強は決して「やりたいこと」ではなくあくまでも我慢して頑張るものでしかないのです。

したがって、日本のエリートとされる人たちの多くは「やりたくないことを頑張る」能力が極めて高い集団と言えるでしょう。

実際の業務には両方が含まれるが…

とはいえ起業したからといって「やりたいこと」だけですべての業務が完結することはありません。

一企業の責任者となれば「やりたくないこと」が山ほど存在するからです。むしろ「やりたくないこと」の方が多いかもしれません。

しかしこれは規模は違えど、サラリーマンや公務員も同じです。

とはいえ、あまりにも「やりたいことを頑張る」人が少ないことも事実です。

日本の社会の停滞感の原因の一つには「やりたくないことを頑張る」人を最も評価してきたことにあります。

もちろん、そうした人たちが苦しい時代を支え、日本を豊かな国にしたのは間違いない事実です。貧しい時代には「やりたいこと」をやる余裕が個人にも社会にも存在しなかったからです。

ところが、現代は「やりたくないこと」の多くは誰かがしてくれる時代となっています。AIやアウトソーシングなど、大半のことは誰かに任せることが可能となっているということです。

そんな時代にあっては「やりたくないことを頑張る」能力ではなく、「やりたいことを頑張る」能力が求められるのもまた事実なのでしょう。

社会における評価でもそうですが、何よりも自分自身の充実感や満足感は後者が大きく勝るのは間違いありません。

どちらも必要か

この文章の題に上げた二つの能力。「やりたくないことを頑張る」能力と「やりたいことを頑張る」能力。

これまでの日本の教育界は常に前者を評価し続けてきました。

最近になって、後者をもてはやす動きが急速に広まりつつありますが、学校という文脈では「やりたくないことを頑張る」生徒を評価する枠組みが依然として維持されていることもまた事実です。

教員の世界もまた「やりたくないことを頑張る」能力の長けた人が評価されているからなのかもしれません。

まずは「やりたいことを頑張る」能力を伸ばすために、教員自身が「やりたいことを頑張る」必要があるでしょう。

だからこそ、私は毎日noteを書くのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?