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ICT教育神話を打ち砕け!:真の意義と文具的活用の周知


根強いICT神話

先日、ABEMA Primeに出演をさせていただきました。ICT活用を行う教育現場の最前線の立場として討論に加わりました。

論者の中にはICT否定論者がいたため、まずはICTの是非や学力相関に関してが話題の中心となってしまいました。そのため肝心のICTを利用した教育まで話が広まらなかった、広げられなかったことを非常に残念に感じます。

とはいえ、その中で複数の論者が口にしていた発言が世間一般の見るICT教育の姿であることを再確認できました。それらは恐らく多くの人が抱くICT教育への期待感や想像の最大公約数的な意見のように感じます。そうした意見をまとめると以下のように集約できるでしょう。

  1. ICTで成績が上がる可能性への期待

  2. ICTを活用したこれまでにない体験や授業形式への期待

  3. 未だに黒板を使っているということへの違和感

これらに関してあくまでも私見ではありますが、現状とICT教育の目的に触れつつまとめていきたいと思います。

1.ICTで成績が上がる可能性への期待

まず多くの人はICT教育を導入することで子供たちの成績が上がったり、学力が向上したりすることを期待していると思います。

結論から言えば、その可能性はほとんどない、ということです。

なぜならば現状で測定する「学力」なる指標はペーパーテストによって計測するものであって、PC上で行う作業ではありません。ペーパーテストに最適化された授業や学習方法よりもICT活用の方が大きく優れるということは決してないでしょう。

もちろん効率化や動画活用といった効果を期待する向きはありますが、そうした正の効果と同様に暗記の問題やペーパー式への不慣れで差し引きゼロといったところではないでしょうか。

少なくとも試験がCBTなどのオンラインでの完全実施となるまでは、ICTが優位になることはないでしょう。ただ、現状のICT導入期において明らかな学力低下が発生しているとは言えないのも事実です。

先日のアベプラにもあったアンケートに関して、小中学生がICT機器を(学習で)使えば使うほど成績が低いというデータが示されていました。しかし小学生で何時間もICT機器を使う生徒の成績が良いわけがない、という単純な理屈にどうして思い当たらないのでしょうか。

またスウェーデンがICT政策を止めて手書きに戻すという話になっていました。この件に関してもスウェーデンという国では移民が多くスウェーデン語を母語としない子供が3割以上とも言われています。家庭ではスウェーデン語を話せない保護者の下であることを考慮すれば、学校がその場で管理する手書きに戻す意味はあり、一概に日本と比較することはできないでしょう。

学校ICT化においては効率化、省力化という点が重要であり、導入へのインセンティブとしてはこれで十分なのです。教員の業務、生徒とのやり取りのシームレス化と実社会における当たり前のやり取りを学校に導入することが目的であって、学力向上はあくまでも付加的な価値づけに過ぎないのです。

2.ICTを活用したこれまでにない体験や授業形式への期待

この手の期待をする保護者や識者は決して少なくありません。動かない図を動かしたり、触ったりすることで学びの活性化が起こるという期待です。

確かにそうした体験は一見すると目新しく、興味を引きがちです。実際そうしたICT活用には一定程度の効果があるのは間違いないでしょう。しかし、果たしてそうした活用は持続的に運用が可能でしょうか。

学校教材は毎日学習する前提で作られていますし、その学習範囲は多岐にわたります。スポット的に一部の単元や内容でそうした特別な体験を準備することは可能ですが、それを継続的に毎日行うことは不可能です。もっと言えば、それが毎日続くようならば飽きてしまって記憶に残らなくなる可能性すらあるでしょう。

ICT活用はそうした便利道具や教具的活用とは離れて考えなければなりません。国際大学の豊福准教授はICTの日常利用の普及に対し「ICTの文具的活用」という表現と利用方針を提唱しています。

要は鉛筆やノートのように普段の生活の中にICTが入り込み、特別な手順やハードルを無しに利用できるようになれば良いということです。

授業の準備に特殊なスライドやアプリを活用するのは、それが簡単に使えれば利用すればよいけれども、あくまで日常での連絡やメールによるやり取り、課題などの提出を優先するというのはの教育現場の現実に即した考え方であるように思います。

3.未だに黒板を使っているということへの違和感

黒板に対する実社会の忌避感は強いようです。これには黒板をノートに写させられたり、理解不能な公式や数式が羅列されていた経験から来るものかもしれません。

しかし、実際の社会でも黒板は十分に利用されています。おそらくはホワイトボードという形ではありますが、会議やブレストなどでは多用されているのではないでしょうか。

こうしたアナログなツールは原始的であるがゆえに、視覚的に理解を促進しやすく決してその効果を侮るべきものではありません。

ところが教育現場で黒板をいまだに使っている、というだけで批判的にとらえられることは少なくないようです。しかし情報伝達ツールという意味では黒板は十分に有用です。説明や列挙をその場の全員で共有できるというのは会議ツールとして稀有な存在です。黒板を活用しつつ、情報をオンラインで共有したりすればよいだけなのではないでしょうか。

ちなみにホワイトボードではなく黒板なのか、という指摘も存在するようです。これに関しては黒板がすでに普及しているため改修をするには費用がさらに掛かること、教室ぐらいの広さの場合は光の反射から黒板が見やすいこと、黒板の方が滑りが悪いために字をきれいに書きやすいなどの理由があげられます。
(逆にホワイトボードには埃が出にくい、ペンが日常利用のものに近い、色表現が直感的に分かりやすいなどのメリットもあります)

ICTは学力向上の魔法の道具ではなく、効率化を実現する省力装置

ICTの真の目的は面白い体験ができる遊具でもなければ、学力を上げる魔法の道具でもありません。

ICTはあくまでもこれまでやっていた作業や業務フローの効率化、省力化を行う装置に過ぎまないのです。例えば課題の配布と回収、小テストやアンケートなどはICT活用を行うことで非常に簡便になります。出欠確認や緊急の連絡などでも効果を発揮するでしょう。連絡漏れや補足情報の提供などもスムーズです。

実社会においてはこうしたいわゆるDX化がさらに進んでいるのに対し、学校という場所ではそうした進化が一歩も二歩も遅れていました。現在、令和一桁の時代における教育のICT化はこうした実社会に対しての遅れや乖離を解消し、数年後に社会に出る人材を最適化するという意味もあるのです。

だからこそ、ICT化を教育効果の点で遠ざけたり、逆に目新しい授業改革とい視点での活用を軸にしてはいけないのです。

あくまでも社会の便利さに合わせて学校現場も便利になっていくためのツールの普及、これこそが学校におけるICT化の真の目的なのではないかと思うのです。

そして、業界外からの見当違いな期待と圧力を避け、教育の適正化を図るためにも、こうした視点を広く周知することが必要なのではないでしょうか。


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