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全てのりんごは食べることができる。

大学では数学をやっていた。

数学というから計算のイメージがあるかもしれないけれど、具体的な数字はあんまり使わなくて、ほぼ文章である。

記号を使いながら文章を書いていくという感じだ。


「全てのりんごは食べることができる。」
という問題を考える。

これで数学がどんなものかを説明してみる。


まず、「全ての」の部分。
ここが数学らしいところだ。

「あるりんごは食べることができる。」
だったらもっと簡単だ。
食べることができるりんごを1個見つけてくればいい。

「全ての」
と言う部分がこの問題を数学らしくおもしろくしているのだ。


さて、

「全てのりんごは食べることができる。」
何にも説明なく考えたら、いろんな意見が出るだろう。

だから最初に言葉の定義をする。
「この条件を満たす〇〇を〇〇という」みたいな感じで定義する。

だから、「全てのりんごは食べることができる。」と主張する前に、

「りんごってなんだっけ?」
「食べることができるってなんだっけ?」

ということを決めておくのだ。

「この条件を満たす〇〇をりんごという」
「この条件を満たす〇〇を食べることができるという」

これが大事な作業。


そして次元を変えてみたりもする。

2次元のりんごで成り立つのか。
3次元のりんごで成り立つのか。
4次元のりんごで成り立つのか。
n次元のりんごで成り立つのか。

と言う感じだ。

「2次元のりんごは食べることができる。」
ということも考えてみると。

- 食べられない?
- アニメのキャラクターはりんご食べてるよね?
- 誰が食べるか決めてたっけ?

定義がしっかりしていないとこうなる。
最初の定義が大事だといったのはこう言うことだ。

逆に、
「りんご」「食べることができる」
の定義がしっかりしてると2次元でも話ができる。


あとは、食べることができると仮定して、次の話を進めてみたりもする。

「全てのりんごが食べることができるならば、全てのアップルパイは食べることができる」

これを考えることで、りんごへの理解がまた深まったりするのだ。


こんな感じで、数学というのは言葉遊びみたいなものなのだ。


日常生活で、誰かと意見がぶつかることもあるけれど、
ちゃんと前提条件をつけると、意見が分かりやすくなる。

早く到着したいならこっちの道を歩いた方がいい。
景色を楽しむならこっちの道を歩いた方がいい。

こうすると、ちゃんとみんなで議論ができる。


今日も読んでいただいてありがとうございます。

やっぱりあっちの道にすればよかった、ということもある。

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