「誰も知らない有名人」Lineage リネージュ 昔話010
昔から、何か新しいジャンルのゲームで大ヒット作品が出ると、雨後のタケノコのように、同ジャンルのゲームが大量に出てくるものでした。
ストリートファイター2という格闘ゲームが大ヒットした際には、やはり格闘ゲームが多数発売されたと思います。しかし、ほとんどがひどいクソゲーでした。
一番印象に残っているのはネオジオのファイトフィーバーですかね。
2D格闘なのですが、途中で上方向の4Way弾になる飛び道具などがあります。
格闘ゲームの飛び道具というものは、撃つタイミングを読んで前ジャンプをされると痛手を受けるリスクがあり、それで読みあいが成り立っています。しかし上方向に4Wayに分裂するとなると、ジャンプで飛び越すことなどもちろんできません。
初めて見た瞬間、「アホか!」と言いたくなりました。
漫画「美味しんぼ」の海原雄山なら「この飛び道具を作ったのは誰だぁっ!!」と開発室に乗り込んできかねません。
Magic:TheGatheringというTCG=トレーディングカードゲームが大ヒットした際にも、やはりTCGが多数発売されました(遊戯王やポケモンカードゲームもこの時期に生まれたゲームです)。同じく、ほとんどがひどいクソゲーで、すぐに消えていきました。
このジャンルで最も印象に残っているのは指輪物語TCGですね。
クソゲーかどうかさえよくわかっていません。何しろカードゲーム仲間と何度も説明書を読み返しても、中学生の頃の私達にはルールを理解することができませんでした。
それから数年後、インターネットが使えるようになった我々は、ふと指輪物語TCG のことを思い出し、検索してみました。すると指輪物語TCGの世界大会に行ったという日本人プレイヤーがいたのです。
その方が運営するWebサイトには、こう書かれていました。「説明書を何度読んでもルールが理解できませんでした」。
※その方は説明書以外の何かでルールを知ったはずなのですが、正確には覚えておりません。海外プレイヤーにネットを介して教わったなどと書かれていたような気がします。
MMORPGというジャンルでも、ラグナロクオンラインやFF11などが大ヒットすると、様々な作品が生み出されました(世界的に見るとEverquestやUltimaOnlineあたりの方が人気は上だったのかな。)。
MMORPGの場合は、開発や運営にコストがかかるためか、遊べないレベルの物はさすがにほとんどなかったような気がします。そんな中で、まれにゲームと呼んで良いのかわからないレベルのものもありました。
ギリギリゲームの形を取っているものの中では、アルス・マグナという作品のひどさが印象に残っています。リネージュのサービス開始から何年も経ってから世に出た作品にも関わらず、リネージュの劣化コピーのような印象でした。唯一評価できる点としては、モンスターが無駄にしゃべります。
ミミック「俺の中身が見たいのか……?」良いからお前は黙ってろ。
※ミミックは宝箱に擬態しているモンスターです。
そして私の中でそれを超えていたのが、OzWorldという作品でした。
ゲーム内で出会った先輩プレイヤーに、「これってどういうゲームなんですかね?」と聞いたところ、「これはゲームではない。」と言われましたし(あの時に、お答えになったあなた、なぜOzWorldをプレイしていたのですか……?)。
なおここまでの各作品に対するクソゲー扱いは、完全に私の主観によるものになります。ただ気分を害された方がいらっしゃったとしても、クソゲー扱いの撤回はできません。
だって、本当にひどい出来でしたよ……?※指輪物語TCGは評価不可能につき除く。ただ説明書はひどい出来でした。
さて前置きですらない、無関係な話が長くなりましたが、多くのMMORPGが生まれていた頃、私もそのうちの幾つかの作品に触れてみました。
私はそこでリネージュ以外のMMORPGプレイヤーだったという方とも数多く出会いました。
そして「元リネージュプレイヤー」だと自己紹介すると、何度も言われたことが2つあります。
そのうちの一つがこれ(もう一つはこの記事の中では書きません。)
「リネージュって、修哉っていう凄いプレイヤーがいるんでしょ?」
同じゲームをやったこともない人にまで名前が広がっている、”修哉”というプレイヤー。
何がどう凄かったのでしょうか。
なお今のようにゲーム配信など一般的ではない時代で、修哉さん自身はblogなどで情報発信をされていたわけでもありません。
同じゲームをプレイしたことがない方が、なぜその存在を知っていたのか。
おそらくこのような文脈で語られて、クチコミで噂が広がったのではないでしょうか。
「このゲームの〇〇さんって、レベル上げの速度がとても早いよね。」
「いや、俺は昔、リネージュっていうゲームをやってたんだが、そこにいた修哉っていうやつは〇〇の比じゃなく早かった。」
そう、修哉というキャラクターのレベル上げ速度は、まさに異常でした。
当時のリネージュの仕様では、LV52が一つの到達点でした。もちろん日本で初めてLV52に到達したのも修哉です。
それどころではなく世界的に見ても、異常なレベル上げ速度でした。
リネージュという作品は、ネットゲーム大国である韓国における国民的タイトルです
(2021年6月現在、リネージュM・リネージュ2Mというスマートフォン向けアプリが存在しますが、韓国ではアプリ売り上げのトップ2をこれらの作品が占めているほどです。)。
そのリネージュの本場である韓国において、「日本におそろしくレベル上げの早いやつがいる。」とゲーム関係のサイトで取り上げられていました。
それほどに修哉というキャラクターのレベル上げ速度は群を抜いていたのです。
修哉の強さはレベル上げ速度だけで語ることはできません。
修哉というキャラクターが存在したのは、日本で2つ目に作られたサーバーであるカノープスでした。
それから時が経ち、4つ目のサーバーが作られたとき、修哉の中身だったプレイヤーもそこでプレイしていました。
そこでの名前は「氷」。カノープスサーバーでも彼を支えた、極少数の信頼できる仲間のみとチームを組んでいたはずです。
同じサーバーには、カノープスサーバーオールスターズと言われるKillingArt血盟(通称KA)が存在しました。カノープスで有名だった人は一部を除きほとんどそこに所属していたのではないかと思います。
さすがにその強さは圧倒的で、最初に最も大きなギラン城を取ったのも、もちろんKA血盟。まさに他を寄せ付けない、絶対王者の風格でした。
君主であったChieko(カノープスサーバーの「ちえこ。」)さんは、「周りはシリウス勢対カノープス勢とか言ってるけど、カノープス勢対カノープス勢だよ。シリウス勢で敵になるやつはどこにいるの?」などと語っていました。
※シリウスは日本で一番最初に作られたサーバーです。ここでの〇〇勢は、そのサーバー出身のプレイヤーという意味になります。
多くのプレイヤーの目には映らないところで、KA血盟の敵となっていたカノープス勢。それは氷チームのことだったのかもしれません。
ある日、ボスを待っていると、そこでKA血盟と氷チームの争いを偶然目撃しました。
少数精鋭の氷チームはわずか3名、対するKA血盟は8名です(しかもうち1名はBBサモナーと呼ばれる、複数のモンスターを従えた魔術師でした。サーバー開始から10日ほどでもうBBサモナーがいるのです。)。
おそらく、各キャラクターのレベル差は、そこまでは大きくなかったと思います。
しかしその結果は……氷チームの圧勝です。
ここでの氷チームの強さは圧倒的な装備と、各プレイヤーの判断の的確さなどによります。相手が何をされれば困るのかを即座に見抜き、それを実行します。相手の足並みが揃う前に。
また装備の内容を聞いた私は、信じられない気持ちになりました。
いつも日本円換算をしてばかりですが、RMT相場で考えるのであれば、サーバー開始から10日ほどの時点で、すでにX00万円を超えています(Xは伏字とさせてください。またサーバー開始から間もないためゲーム内通貨と日本円のレートで、ゲーム内通貨がかなり高い時期ではあります。)。
なお当時のリネージュは月額課金制のタイトルであり、アイテム課金は存在しません。純粋なプレイによる強さの差が、これほどあったということです。
修哉さんと呼ばれるプレイヤーはただ1人です。
ただ修哉と呼ばれたキャラクターの中身は複数人います。これは当時のトッププレイヤー達の中では珍しいことではなく、また修哉さん自身はこれを隠してもいませんでした。
その中身であった数名のプレイヤー、そして彼らを支えた極少数の仲間達。MMORPGの世界で彼らほど"少数精鋭"という言葉が似あう存在を見たことは、今に至るまでありません。
最後に、修哉の名前がどのようにしてつけられたか、ご本人からうかがった話をたまたま覚えていたので、書かせていただきます。
私「え?修哉って本名じゃないんですか?勝手に本名だと思ってました。」
修哉さん「違うよ。出会い系やってたときに、女にモテそうな名前にしようと思って、"修哉"にしたの。それをリネでもそのまま使ってるだけ。」
……そういや修哉さん、こんなことも言ってましたね。
締めくくりに。
昔、職場の上司が、飲み会でこんなことを言っていました(以下、登場人物は仮名)。
上司「山田には良い部下がいるか?草野にはショウ(私です)がいるやろ。山田には誰かおるんか?」
山田さん「いや、いまのところいません。」
上司「ショウは自分のことよりも前に草野のことを考えとる。それはそれだけ草野がショウに何かしてやったんやろ。俺はよく知らんけどな。良い部下を持てるようになれよ、山田。」
山田さん「はい。」
これを聞いた当時、私は思いました。私にも「私のような部下」はいないと。
しかしそれは私が草野さんのような先輩・上司には成れなかったからではないかと思っています。
最高の仲間を手に入れるためには、自分自身がまず、最高の仲間足りうる者にならないといけないということなのでしょう。
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