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僕は恋愛をしない人と友達になりたい

恋愛社会という大海原に身を投げ出され、どうにかして溺れないように浮かんでいる木材にしがみつき、恋愛のない離れ小島まで移動することはとてつもなく難しい。そもそもそんな小島がほぼ無いからである。僕のように恋愛しない人には、この社会は大変不親切設計なので、あらゆる人間関係が、恋愛を起点にぶち壊れることがある。

例えば、友達が恋愛をし始めたことをきっかけに、明らかに疎遠になったりだとか、相手の恋愛話に興味がなさそうな反応をしたことで「馬鹿にしている」と言われたりすることがある。

まず前もって断っておくと馬鹿にはしていない。

興味がないだけなのだ。興味のない音楽を聞かされても大した反応はできないように、興味のない恋愛話を聞かされたところで、やはり大した反応はできないのである。それを「馬鹿にしている」と言われてしまえば、もう僕はどう反応していいのか分からない。

このような恋愛的価値観のずれから、人間関係に亀裂が生じることは他の問題からよりずっと多い。たかだか恋愛で人間関係を失うのに正直疲れている。

しかし、最近ではもうこれらの諸問題も仕方のないものなのかもしれないと思い始めた。事実、歳を重ねるごとに僕の周りの友人関係はアロマンティックを自覚する人ばかりになっているし、それによって苦痛を回避できている状況も自覚している。

ここで恋愛をしない人と友達になるメリットを挙げてみよう。

  • 恋愛分からん話で共感できる

  • ”恋愛したい話”を聞かなくて済む

  • 相手に好きな人ができることによる、関係性の途切れがなくなる

  • 相手に恋愛感情を抱かれなくて済む

  • その時間を他の楽しい話に使える

とりあえず5つ挙げてみたが、もう大体この5つがあれば十分なのである。
もはや、相手が恋愛をするロマンティックであることは、関係の途切れが生じるギャンブルに巻き込んでくる可能性がある人でしかなくなっている。

そこにリソースを避けるほど、人生に余裕があるわけではないので、まず自分にとって必要な人から友好関係を深めていくべきだということに気づいた。

もちろん、そんなのでは関係性が閉鎖的になり、閉じこもっているやつだと思われてしまうかもしれない。事実、僕はそのように同じような価値観だけの人と付き合うのは危険だと考え、むしろ積極的に他者と関わっていこうと考えていた。

これがよくなかった。つまり、増えていくアロマンティック・アセクシュアルなどのAスペクトラムを自覚する友達と減っていく既存の恋愛感情を持つ友人たちの状況に焦りを感じて、どうにか維持できないかと考えていた。

ただ、結果としては冒頭の友達による「馬鹿にしている」発言しかり、関われば関わるほどはっきりとわかる違いに傷つき、気づけばそのことばかりで悩んでいた。

ある時、ふと悩みの多くが相手の恋愛的価値観を起点にしたものだと気づいて、「そもそもなんでこんな無理してまで関わっているんだろう」と思ったのである。

「友達って頑張って維持するものだったっけ?」

考えてみれば、関係性は別に友達以外でも築けるものだ。
僕にとって、友達はかなりパーソナルな枠組みに入るし、そこは共通の趣味や話題というだけではない価値観の共有もあって初めて友達だと呼べるようになるので、ジェンダー・セクシュアリティに理解のない人と友達にはなれないのである。

その上で、ただ共通の話題がある人は、たまにそのことについて話す程度の知人でいいかなと思ったというわけです。

もちろん、恋愛感情を持っている人と仲良くなることは今後もあるかもしれないけど、その可能性は低いし、それでいいやと思い。
ここに書き記しておきます。


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