わたしの贅沢と幸せ
わたしはサイゼリヤが好きで、よく利用していました。
しかしコロナが流行りだし、自粛期間中は全くサイゼリヤどころか外食も難しくなって寂しく思っていました。
自粛期間があけ、まだまだ気を付けなければいけない時期ではありますが、久々に友人とサイゼリヤへランチをしにいきました。
そこで、ある現象が起こりました。
ドリンクバーのコーヒーや紅茶が美味しく感じられなかったのです。
自粛期間中、気分を盛り上げようと少し良いコーヒーを丁寧に淹れて飲む。これまた紅茶も、少し良いものを蒸らしながら丁寧に淹れて飲むという贅沢を続けておりました。
ささやかな贅沢にすっかりいい気分になり、こんな幸せを見つけられるなんてと、浅はかなわたしは得意になってすらいました。
まさか、その弊害があろうとは・・・。
少し前のわたしに忠告してあげたい。
贅沢はたまにだから良いのであって、日常的になってしまっては有り難みが減ることを。
わたしの幸せの一つは、友人と楽しくおしゃべりし、安くて美味しいものを食べることです。それが美味しくないと感じてしまうのは、悲しすぎる。
大好きな人たちと直接会ってふれ合うことが、自分にとってどれほど大切なことか痛感していたところでしたが、コロナの被害が意外なところに起こり、大変驚いたと共に幸せや贅沢について考えさせられました。
自業自得ながら、わたしの舌を甘やかすきっかけとなった憎きコロナ。
早く収束し命の危機に怯えることなく、自由に人に会い、安くて美味しいものを食べにいける日々がくることをこころから願わずにはいられません。
祥雲(しょううん)
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