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脳内の見える化 Vol.15

シャンプーされながら、自分はどうなりたいか考えた

自分は技術と思考・提案・整理によって人(仲間とクライアント)の心に影響を与えたい。その上でなるべく多くの人に知ってもらえる「代表作」を得たい。

反面教師の例

・副業で業務委託してるデザイナーさんのように、ひとりでデザインだけして良い物を納品して感謝されて終わり、という働き方は寂しく感じる。
・パワポ作るのが得意、なだけな人もいまいち。プラスしてすごい提案をして合意を得られるなど、自分という人間を評価されたい。
(ただし、数理モデル作れる人とか、分析ツール使いこなせるのはそれだけでもかっこいいと感じる)
→これらは技術で付加価値は出せているが、「同じ技術があれば自分じゃなくてもいい」「人間性に心酔されているわけではない」という寂しさ・気持ち悪さが残るから嫌なのだと思う。

・頭がいいけど特に何も形にはできない、ただただ頭良くてやるべきことはこなす、も嫌だ。
→これらは自社にも良くいる評論家ぽい人のイメージであんまり役に立たないのと、何よりどこにでもいる。どこかで「自分の代表作」を世に出したい気持ちがあるんだと思う。

・プロスピの技術が日本一ある、日本一当たる競馬の予想家、ひろゆきみたいに言いたいこと言って影響を与えている、とかも嫌だ。
→多分だけど、友人に誇れないから。やっぱり、ビジネスという共通言語(友人の大半がやっている)で大きな価値を出せるのがかっこいいと思っている節がある。教師とかインフルエンサーというのはビジネスの代表作があるからこそ輝くと思っているので、いきなりそうなるのは違う。

考察

・周りの人から君は頭いいよね、Willもあるよねと言われるのはかなり気持ちいい
・PJTの中のこの部分は君がいたから回ってるよ、と感謝されることもないではない
・それでも今は満たされない日が続く。となるとやはり、代表作がないから自信を持ててない

なりたい姿の例

落合博満、石原慎太郎、森岡毅、山田進太郎、カイジさん、熊野さん、M社のyuさん、unさん、osさんなど

・共通項は先見の明、批判を恐れない実行力、代表作がある、戦略の正確さ、見られ方への執着心がない、厳しい、素早いなど
・なんでなりたい?心を動かされるから?頼れるから?結果を出すから?
・「俺はこう思ってるから絶対こうする、ついてこい」と言って本当にそうしてるから。
→これはしっくりくる。有言実行力?敵にしたら嫌だ!くらいの変人ぶり?
→となるともっと「俺はこう思ってる・こうしたいからこうするからね」くらいのスタンスを取った方がいいのだろう。でもなんかモヤモヤする
→さては、自分に「こうしたい」がないのか??→多分そう。「こうしたい」に向けて目を血走らせて、断固たる態度をとって、しかもミッションを達成するからかっこいい。ペナントレースとか都政とかテーマパーク再建とかフリマアプリとか部門変革とか。
→となるとやっぱり、今ある「デジマ」とかでもっと断固たる決意で鬼の形相で推し進めるのはめっちゃアリな気がしてきたぞ。彼らもきっと「ゼロから湧き出た絶対やりたいことをやってる、というよりは、目の前にある機会に心奪われて誰よりも頑張った」ということだと思うので、目の前の興味持てることの実現で全然いいのだと思う。いつまでも「全世界で一番しっくりくる事柄を扱いたい」という夢追人的マインドセットだと見つかる前に死ぬ、きっと

結論:デジマを優勝請負人感覚で断固たる決意で目を血走らせてやり抜いてみる

今後考えたいことたち

・なぜ休日の朝はシャッキリしていて、平日の朝はめちゃめちゃ眠いのか
→休日の6時にはめちゃめちゃ目が冴えていて前向きなのに、平日の朝は8時45分でも頭がぼーっとするのはなぜだろう、(要はアドレナリンの分泌量が全然違う)をもっと考えてみたい。

・もっと他流試合するには、別の考え方を持つ人と意見を通わせるにはどうしたらいいか

・全体的にぬるいのはなぜか?「寝ても覚めてもこれやってる」状態になっていないのはなぜか?
→ちなみにそれができる環境には、正直あるのに。

・保険会社の社員なのに、保険とか税制に疎すぎないか?存在価値あるのか?
→これは立派な「世の中のニーズと自分のアイデンティティの交差点」ではないのか?なぜそれを追わないのか?

・このままのノリで物書きしてて大丈夫か?ひたすら自分の思考をぐるぐるするだけで外に出ていけないのではないか?

・もっと小さくてもいいので「世に出す」ことを単独でできないものか?「小さな代表作」を作る方法はないか?

・やりたいけどやれてないこと、実はやりたいことだけど知らないからやりたいと思えてないことは世の中にないか?それをやらなくて本当に後悔しないか?

石原慎太郎の本を読み始めた

本屋でふと見つけて買った。第19章からの学び。

「ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。
行為の善悪を判断せずに行為しなければならぬ。善か悪かを懸念せずに愛すること。平和な日を送るよりは悲痛な日を送ることだ。私は死の眠り以外の休息を願わない。私の一生に満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと慄然とする。私の心の内で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足してーーあるいは全く絶望しきって死にたいものだ」
アンドレ・ジッド『地の糧』
つまり生きていくため生活の中でいかに他人と折り合っていくか、そのために傷つき失われる自我をいかに保つかが問題なのだ。(中略)いってみれば人生は個性感性を踏まえての進み方と、世の中の常識や様々な規範に準じていく、ある意味での迎合との取り合わせで、個人的な現実と社会的現実のせめぎ合いだが、なかなか己の我を通すのは難しい。
その間実に辛い思いで朝起きるのが嫌でたまらぬほどだったが、(中略)その曰くに、「貪欲(とんよく)滅すれば、すなわち苦滅す」とあった。(中略)ひょっとしたら勝てるかな、などと思うからつらいので、勝負に執着しなければつらいことはないのだと。前述したとおり、そのお経の一行を自分で紙に書いて胸のポケットに入れていたら不思議につらさが消えたものだった。

最後の引用は、「勝ち負けにこだわらなければ他者を認められるし、拗ねたりいちいち感情がぶれることもない」という最近の目標にすごくフィットしていて勇気が出た。あと、石原慎太郎でさえも言葉に頼って胸ポケットに入れて自分を奮い立たせたのだと思うと、凡人の自分がこうして自我を保つべく必死にアウトプットするのは当然とも思えてきた。

今日はここまで

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