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わたしの真ん中にあるもの

長らく下書きにしまい込んでたものだけれど、今日、この記事を書いてからおよそ1年が経つと気づいて引っ張り出して少し付け足してみた。

この記事の中で初めてわたしの将来の夢歴を書いてるけれど将来の夢って別に職業じゃなくてもいいんだって。それもっと早くに言ってほしかったわ(笑)と思いつつ、並べてみると割と興味があれば没頭したい系なのかもしれないと思ったのであった。


それは1年前のこと。
初めて訪ねたPIECESで過ごした時間。
それはわたしの真ん中を自分で捉えて離さない、外側と内側が不思議とぴったりくっついていて見失うことがない。

そうして気づく。普段はわたしの真ん中からズレている毎日だけれど、会いたい、この空間にいたい一心で作った時間は、いま、ここにいることを取り戻す時間でもあった。

初めてきた場所。写真でチラリと見たことがある場所。
初めてきたんだ、と言うと、いらっしゃいと迎えてくれた。そして会いたいと思っていた仲間たちに会うことができた。


生まれた時から「福祉」とは切っても切り離せないくらい縁があった。親と一緒に専門性を持った大人たちに育ててもらったと言っても過言ではない。医師、ST(言語聴覚士)、PT(理学療法士)、看護師、学校の先生。(メディカル多め笑)

両耳とも生まれつき全く聞こえないだけでなく、先天性股関節脱臼で5〜7歳の頃、長期入院していた。だからか、「ろう」の世界にいるより「聴」の世界にいる時間が長くて、そして周りにいたのは様々な病気で入院する子どもたちと先生と、看護師と、保育士と。放射線技師もだし、装具技師とかもいたな。そう。なにかの専門性を身に纏う大人たちをみてきた。

その時間の割合が長いように思っていたけれど、今振り返ってみると幼少期の、ほんの1、2年の話だった。


いきなりだが、将来の夢歴も並べておく。将来の夢ってコロコロ変わる。まじで。


5歳:ペンキ職人(姉と祖父が小さな鳥小屋の屋根を塗っていたのに憧れていた)
7歳:化粧品屋さん(母の化粧箱にたくさん詰まったメイク道具とメイクに憧れていた)
小学生:社会の先生になりたい
中学生:中学校の先生になりたい、幼稚園か保育園もありかも
高校生:高校の先生になりたい、幼稚園か保育園もありかも
大学生:大学で教えるのもあり?チャイルドケアライフスペシャリストにも興味あるな、里親もあり?分からん(迷子になった)

お分かりだろうか。すぐ人に影響を受けるのだ。でも一貫して子どもとか若者と関わるというのには小学生から割とブレなくなったなと思う。メイクは今でも見るのはとても好きだ。

大学を卒業する時、一般企業に進むか、福祉の世界に行くか迷った。福祉でも児童福祉というよりは児童と地域福祉がいいな、と思っていた。社協にもとても興味があった。散々迷い悩んだ結果、大学4年になりたての春、遠回りをすることに決めた。遠回りしてもちゃんと辿り着けるように、社会福祉士も取ろうと決めた。
(無事に取得できました)

しかし、専門性を手にしていたとしても必ず使えるわけではないこと、その職はあまりにも知られていないこと、常なる学びが必要であること、そして立ち上がるまでの気力を要することに気づいたのは会社員として働くようになってから。だからここにわたしがいるよとは恥ずかしくて大声で言えなくなり、生産性と効率性を求められることに違和感を感じながらも、誰かを思う=相手に手間をかけさせない、煩わしさを感じさせないことという方程式の中に今も生きている。

わたしが見えている世界はどこかギズギズしているように感じていたけれど、たぶん一番は自分が自分にそうであらなければならないと求めてしまっていたのだと思う。自分が自分に差し向けたものはあまりにも鋭く尖り、それによって傷つけてしまっている。自分の半分くらいを見てみぬふりをしてきたのだ。非常に生きづらくなっていた。

そんな中、2021年6月にPIECESに出会った。「市民性」という言葉に出会った。子どもを孤立させない社会に。専門性を持たずとも、1人のひととして、その子のいる地域でその子の育ちを見守る。そんな大人が増えればいいと願うCforCのプログラムは、かつて「児童+地域福祉」がごちゃまぜになったことをしたいな、地域の交差点みたいな場とかあったらいいのになと思ったわたしの学生時代に思っていたことと重なって、これは、と思った。2週間迷ったのち、締切ぎりぎりに受講を申し込んだ。

PIECESの想いは果てしなく広く、分かりにくくて、さらに道のりは長い。でも歩き始める時に必ず手始めに安全安心な環境を作る。それは大人も一緒だ。CforCで仲間たちと共に作った(作られた)安全安心な環境に守られて、自分の価値観に触れたり、他の仲間たちの価値観に触れたりして行方不明になっていたわたしを構成するいくつかは少しずつ以前とは姿形を変えて戻ってきたように思う。

そうして、市民性を受け取る、渡すということもするようになって、自分にとってのオアシスができた。灯火でもある。

わたしの真ん中の全てをまだ今もうまく言葉にできない。けれどCforCで出会ったワードたちー市民性、風景、まちづくり、コミュニティ。地域を中心にちりばめられたそのワードと、地域の人たちと子どもや若者たちと共に生きる道。交差点。うまく言葉にできなくてもいい安心感で、自分の価値観をそっと置いていける環境のおかげで、手放しかけていたわたしの好きなわたしと手をつなげられるようになったのだと思う。

なによりもPIECESに関わる人たちが好きだ。オンラインで出会って、リアルで会っても、とても安心できる関係性だ。一方的に安心しているだけかもしれないが。信頼している人たちに囲まれた時間は、そのままのわたしでいいと感じられる。ゆるりとふわりと飛んで、栄養を貯めるようにして、市民性というキーワードを通して語り合うその時間はいつもはズレたままのわたしの真ん中がちゃんとあるんだと感じられる。

そして、今思う。遠回りしたから出会ったのだと思う。そしてその空間を今度は誰かにそっと贈りたい。

↓CforCの仲間たちと過ごした時間のお話はこちら

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そして、わたしにとって大きな出会いをもたらしてくれたCforC、今年も始まります。


おまけ
CforC2021を修了してからもゆるゆる関わっていたら、今年になってまさかのつながりができて、驚くやら嬉しいやら。なんだか今年はつながりが広がるなぁ〜〜〜と感じているこの頃です。
そして初めておじゃましたときから一年が経ち久々の対面で7周年をお祝いできて嬉しい。
昨日も思ったけど、このイベント来るでしょ⁇と誘われたり、遠くから来たの⁈と驚かれなくなったのがなんだかヘンでおもしろい。(実際にもう驚かないよwとホントに言われて笑った)


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