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耳を外すと感じる音楽は何かそっと実験してみた話

最近、好きな曲を語り合ったことがきっかけで、何かネタがないかなと思ってしばらく前に書き起こしては眠らせていた下書きを掘り起こしてみた。ひとり、こっそりやっていたとある実験のお話。


ここでいう耳は人工内耳のことである。

ジェットコースターで爆睡していた私は元々聴こえていなかった。
それはどれほどかというと聴力検査装置からどれほどの音を出してもかすりも引っかかりもしないレベル。よく見かける聞こえのスケール表をみると飛行機が飛ぼうがやりが飛ぼうが音だけでは全く分からないレベル。やりは音は出ないか。危ないだけか。

そんな私と長年相棒をしてくれてる人工内耳は音を感じ届けてくれる存在であるだけでなくもうひとつ便利なものを授けてくれた。

それは「どこでも無音になれるスイッチ」〜。(ドラえもんの声で脳内再生して)

そう。ストレスが溜まるたび、騒がしい音を聞くのがしんどくなって疲れるとこの奥の手を使う。すぐに無音になってろうの世界へ。便利すぎて都合の悪いことは聞かないというアレに悪用してはならぬと日々自分に言い聞かせてるんだけれど。

耳を外すというのはここではスイッチを切る、もしくは人工内耳を耳から外すことを意味する


そんな私だが、音楽がとても大好きでステージに立つことも大好きで、高校のとき単位を確実に取るために選択を諦めた音楽の授業のない日々はとてもつまらなくて。なにを思ったのかトランペットをやってみたいと思い立ち、気づいたら吹奏楽部のドアを叩いていた。入学して半年経った秋のこと。

途中からの入部というのもあり、なかなか合奏に合流できる余裕も勇気もなく、音楽室を抜け出してひとり自己練習を続けて、一年くらいでやっと基礎合奏に参加するようになって気づいた。

音楽室で合奏するとき、トランペットパートのすぐ横はパーカーションでティンパニが並んでいた。すぐ近くで響く音は耳にも届くだけでなく体にも響いていた。

休憩時間のあいだ同期の子がずっと叩いているティンパニを眺めてふと耳に手を伸ばした。
「スイッチを切ったらどんな風に感じるんだろう」

スイッチを切るとすぐに無音が広がった。でも変わらずティンパニの響きが足元から胸へと伝わってくる。リズミカルな響きで。なにも変わらない景色の中に消えていった音に代わって振り落とされるバチの動きに合わせて響く振動にかすかな感動を覚えた。

スイッチを入れると途端にあちこちからいろんな楽器の音が耳に飛び込んだ。

ドキドキした。無音の向こうでもティンパニが響いてることが分かるということがとても新鮮だった。

幼い頃、リズムを教えられるのに太鼓を使われてきた。スピーカーの網に手を触れ、この振動が音であると教わってきた。その向こうに音楽があると知るのはずいぶん後の、小学生の頃、人工内耳で音楽を聴くようになってからだ。

人工内耳のいいところの一つに音楽を楽しめるところが私の中でかなり大きい。逆に言えば音楽は人工内耳をつけている間限定だった。

それが身近な人が鳴らす楽器を、体で感じ取れることに深く、深く感動した。音の高さまでは残念ながら分からない。でも足から確実に伝わってくるのだ。振動だけではまだ音楽の形としては捉えることができないが、明らかに音楽の中に私がいるのだと分かったから。


それからしばらく経った頃、市民会館のホールでリハーサルをやっていた時だったか。観客席に座り、ステージ上でパーカッションを鳴らしている彼らを眺めながら、そっともう一度試してみたけど、響かないことがわかった。

条件としては、
・段差がない同じ地面に立っていること
・楽器が地面に接していること
・距離がそれほど離れていないこと
がポイントらしい。

そんなことできる楽器ってパーカッションのうちの、限られた楽器だけではないだろうか。

ただ、私がやってたトランペットも、息を吹けば手に振動を感じるように、鳴らしている楽器に触れていれば振動を感じることができる。
でも離れたところで感じられるものといえば限られてくるだろう。


実に面白い実験だった。

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