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サッカーしか頭に無かった人間がなぜ熱波師になったのか。


「守護神家入でいこう。」

2023年5月末。湯舞音課長NJさんから龍ヶ崎店のバックヤードで言い渡された。

そして2023年の6月12日月曜日21時。湯舞音袖ヶ浦店の男性サウナ室でサウナが苦手な大学生の熱波師が誕生した。



生まれてまもない頃から両親の影響でサッカー観戦に連れられていた僕は、当たり前のように3歳からサッカーを始めた。小中高と続けて高校から正式にFWからGK(ゴールキーパー)へとポジション転向をした。

そして大学でも続けたいという気持ちがあり、一般受験をして無事関東リーグに所属している大学の蹴球部に入部した。


転機は大学2年生の2022年夏。

大学1年生の頃から膝の痛みを感じながらプレーを続けていたが、大学2年生の夏、膝の痛みが悪化。注射や様々な治療をしたが治らずに2023年の2月に両膝の手術を行った。

サッカーをできない苦しさや膝の痛み、治療の痛みと共に治療費を両親に返すためにもアルバイトをしなければいけない。怪我でサッカーを離脱した頃、たまたま知人の紹介で知った湯舞音袖ケ浦店で、アルバイトスタッフとしてご縁が始まった。

まさに、これが転機であり、「守護神家入」の始まりとなった。


フロント業務を続けて1年弱。2023年6月ふとしたきっかけで熱波師デビューをした。最初は興味半分であった。しかし続けて半年。2024年に入るあたりに気づいたことがある。

「熱波をやることで湯舞音に還元ができているのか。自己満足になっていないのだろうか。」


2024年から改めて考えながら動くようになった。どのようなイベントをしたら湯舞音が盛り上がるのか。どのような告知をしたらお客様が湯舞音に来たいと思ってくれるのか。

袖ヶ浦店のスタッフの皆さんやNJ課長、YUBUNEPPAグループの熱波師の方々などににお世話になりながら、2024年 X(Twitter)での発信を多くすることや、熱波イベントの増加を始めた。

そしてサッカーの経験や繋がりを通じてYouTubeでの PR活動も行った。2024年3月やっと形になりはじめてきている。


大学卒業まで1年間。長いようで短い1年間。
大学サッカーのラストシーズン。
湯舞音所属の熱波師として活動できる1年間。

学業と部活動とフロント業務と熱波師の両立。
後悔のないようにこれからも活動を続けていきたい。

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