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『Karate Kid』 と 『ベスト・キッド』 #1

『Karate Kid』はずいぶんと昔に観たが、米国にて来てから近くのモールで映画フェスで上映していたのを観たのが2年ほど前で、かれこれ30年ぶりくらいに再び観る機会に恵まれた。パンデミックがはじまる前年の夏だったか春だったかはっきりとはしないが、野外上映で外が暗くなってから上映がはじまることになっていて、しかしサマータイムで日没時間がきてもなかなか暗くならないので、こういうのはたいてい時間通りにはじまらない。それでもアメリカ人は文句ひとつ言わずに、適当にワイワイして待っているから素晴らしい。

「ミヤギさんのことはアメリカ人ならみんな知っているよ」と、いつだったか友人のアメリカ人からそう言われたのもあって『Karate Kid』がどうしてこうもアメリカで人気なのか確かめたいと思ったのが、今回観に行ったそもそもの動機なのだが、実際に観直してみたところ、公開が1984年とかれこれ37年も前の映画だから時代を感じるのは仕方ないとして、視聴後の感想は、映画それ自体にたいしてはあまりない。
この映画の面白さとは、率直な感想をいうと、劇中でミヤギさんが披露するトリッキーな指導だとか彼のキャラクターだとかの、どちらかといえばストーリーからそれたところに位置しているもろもろだと思われる。つまり映画芸術としての総合点はそこまで高くない。

しかし僕は『Karate Kid』を観終わった後に、やり残しの課題を終えたような不思議な達成感を味わった。おそらくこの達成感はアメリカにいるからこそ感じることができた類のものだろう。

アメリカで観る『Karate Kid』に感じる達成感の不思議。
日本にいたら「Karate Kid』をもう一度観ようなんて気にはならなかっただろうし、観直す必要すら感じなかっただろう。この不思議な達成感の根っこうに何があるのかと考えるのは億劫だが、ヒントとして、僕がアメリカ生活に慣れてしまったというのがあると思う。
僕は日本生まれの日本育ちだが、ここ数年で日本がメタでもリアルでも、かなり遠のいてしまったと感じる日々が増えてきた。かつての僕は生活上の不思議が発生すると、日本とアメリカをくらべて、その差分がどういう背景によって発生しているのかと考えることによって、自分なりの解釈を組み立てていたが最近は減った。日本を引き合いに出すこともなく、アメリカをアメリカのままで受容するようになった。おそらく僕は、それならばと、もっと日本から距離をとってみて、かつてのアメリカがみた日本を追体験しようと考えたのだった。

『Karate Kid』で有名なのは、車のワックスがけやペンキ塗りだが、こういった表面的なユニークさだけでは、これだけ長くアメリカで愛されるわけがない。じゃあこの映画の本質はなにかというと、それはやっぱり東洋人の神秘であって、もっというと日本人の精神性だと思うのだが、この傾向は『Karate Kid 2』でより顕著になっている。おそらく『1』の評価をうけてのマーケティングの結果だろう。
で、調べてみると、今でこそ世界における日本人のプレゼンスは下がりっぱなしだが、1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されているので、急激な経済成長を続ける日本にアメリカの興味が向いていたのも無理もない。つまり『Karate Kid』は、日本という国を知るための入り口みたいな役割を果たしたのじゃなかろうかと勝手に推測するのである。
『1』ではまだその要素は少ないが、『2』は完全にアメリカへの日本紹介ムービーになっている。で、『3』はまた生粋のアメリカンに戻っている。
ちなみに、それぞれの公開年はつぎの通りで、1989年の11月にはベルリンの壁が崩壊している。

『Karate Kid 1』1984年
『Karate Kid 2』1986年
『Karate Kid 3』1989年


続きはまた後ほど


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