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子育ての現実と正論

正しいと分かっているけど、できない。
そんなモヤっとすることがあったので、愚痴っぽくなるかもしれませんが、書いてみます。

朝、小2の娘が防犯ブザーがないと言って騒ぎ出しました。
学校に置いてきたのかもしれないし、とりあえず今日はそのまま行けば?と言っても、収まりません。

こういうとき、娘は諦めるということができないのです。
泣き出したので「やばいな、このままだと行けなくなる」と思い、
咄嗟に兄(小5)の防犯ブザーを貸してもらって、なんとか送り出したのですが。

一部始終を見ていた夫から「防犯ブザーをなくしたのは娘なのに、兄が迷惑を被るのは違うのではないか」と一言。
「学校に遅刻してもいいから、自分で何とかする術を学ばないといけない」と。
確かに。夫が言うことは正しいと思います。

ただ、日頃の娘の様子を知っている私としては、ここで兄を先に行かせてしまうと、娘はますます泣き叫び、手が付けられなくなる、と判断したわけです。

いったん癇癪が起きると、なかなか泣き止みません。
時間をかけて大丈夫だと説得しても、彼女は納得しないでしょう。
もしかしたら、遅刻ではなく欠席させないといけないかもしれない。

今日やらねばならない仕事が頭にあったのは事実です。
学校に行ってもらわないと困る。
一番もやっとしたのは「結局、あとの面倒を引き受けるのは私でしょ?」というところだと思います。

このあと泣いて騒いで、手が付けられなくなったとしても、
夫は仕事に行ってしまいます。
私がなんとかなだめて、学校に連絡して、落ち着いたところで学校まで連れて行く、ということをしなければなりません。

正しいことを言っているのは分かるけど、それでは現実の生活を回せないんだ、という葛藤。

正論は、人を追い詰めます。
だって絶対的に正しいのだから。

「子どもにテレビをたくさん見せてはいけない」
「怒鳴ってはいけない」
「授乳中は目を見てあげて」

仕事で教育関連の記事を書きたいと思うけれど、
いわゆる「〇〇すべき」「〇〇しちゃいけない」という記事を書くことには、少し躊躇いがあります。そのような記事が読んだ人を追い詰めるかもしれないから。

全部、そうした方がいいことは分かっているんです。
でも目の前のことでいっぱいいっぱいで、できない現実がある。

私は教育関連の本を読むのが好きだし、ネット上でも記事をよく読みます。
自分に余裕があるときは、書かれていることに「なるほど!」と思い、
実践してみようと思えるのです。
いろんな方の意見を、有難いと思えます。

でも余裕がないときは、できていない自分が責められているように感じてしまいます。

あと、安全な場所(直接かかわらない場所)から物を言われると、
素直に聞けないというのもあるし、自分は一番近くで子どもたちを見ているんだという気持ちもあります。

かと言って、夫に一切口出しするなとも言えないので、
どうしたものか。
素直に聞く心を持ちたいけど、先に「もやっ」が来てしまうのは、
たぶん日頃の不満が溜まっているのだろうな、ということにも気づかされました。
育児の本当に面倒な部分は、いつも私が引き受けてきたんだ、という。

少しずつでも吐き出して、まず自分が楽にならないと、人の意見を受け入れる余裕は生まれません。
子育てに正解はないけど、正論はいつも存在する。
ゆったりと耳を傾けるくらいの気持ちで、いられたらいいなと思います。


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