日常を「ずらす」行為について
買い物をしている時、俺はほぼ頭を使っていなかった。
ここで言う「買い物」とは、休日に気合を入れて服やアクセサリーを買いに行くことではない。
毎週普通にやる日用品の買い出しのことである。
そこで巡る思考の9割は、
「あれ足りてなかったな、買い足しておこう」
これだ。
新生活!!と華々しく始まった暮らしも、今は立派な中古。
気づけば可変部位が少なくなって明確な形を持ってきた。
買い出しは、そこから欠けたピースと同じものを探してそっとあてがう。そんな活動になった。
いつものスーパー。
タマネギの備蓄がピンチだ。
大手メーカーの醤油(まだ減塩は早い)。
キムチはこくうま一択。
冷凍チャーハン(米を炊く元気がない時用)も。
あ、洗顔の詰め替えも無かった。
気づけばレジだ。
...このままでは、快適に人生が終わる。
現状は心地いいがベストではない。
「自分が知らないけど自分が好きなもの」が、この世にはまだまだ有るはずだ。
だがそれを探すために、大金を投じたり長時間を費やすのはリスクが高すぎる。
ミスしても痛くないし、またすぐチャンスが来る日常生活は、その試験場として最もふさわしい。
少し遠くて敬遠していたスーパー。
ロマネスコ?見た目が数学すぎる野菜だ。美味しいのか?
100円高い醤油だと煮魚の味は変わるんだろうか。
「ご飯が進むキムチ」はお子様向けだと思っているが食べたことないし思い込み?
ここはあえて、冷凍ご飯を美味しく食べる方法をググってみるか。
泡で出る洗顔料に自分で泡立てる洗顔料は勝てるんだろうか。
一気に実践する必要はない。
少しだけ日常をずらし、気に入ったらピースをはめ込む。
気に入らなかったとしても、いつものピースが今までより少し光って見える。
そうすると、テセウスの船のように、日常は自分にフィットしたまま輝きを増していく。
自分の一番近くで、弱まることなく楽しみを与え続けてくれる。
そうだな、試しに明日は意味なく4時に起きてみようかな。
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