相手をそうさせている~「丁寧に」と「下手に」の違い~

「丁寧に」と「下手に」

 なぜ、こんなことをしないといけないのか?

 なぜ、こんなに相手の機嫌を伺いながら接しないといけないのか?

 そもそも、こんなことをする必要があるのか?


 実は、定期的にこういう気持ちになる。不思議なものでこういう気持ちは、上手くいっている時でも、上手くいってない時でも、湧き出てくる。そうすると、それまで丁寧に連絡をしたり、丁寧に電話をしたり、丁寧に接していたり、、、という関係だった人に対しての「丁寧に」がなくなるような接し方をする。

 そうすると、たいがい、そこで関係は悪くなる。

 精神的に無理をしているからなのかな?とも思う。無理をしない形で付き合っていける人がいれば、いいが、結局、付き合いだしたら、それはそれで相手のことを気遣わなければいけない。結局、人間関係が苦手なのか。人間関係力がないだけなのか。だた、わがままなだけなのか。考えれば考えるほど、ドツボにはまるような気がする。

 なぜ、このように思うのか?答えがあるような問いではない気がする。では、なぜ「丁寧に」がなくなるのか。自分は、「丁寧に」をどのように考えているのか?ここを考えてみようと思う。

 実は、思い当たることがある。「丁寧に」とは少し違う話に聞こえるかも知れないけれども、私の中では、リンクするように感じる過去の出来事がある。


 一応、私は、一定の社会的な立場を持っている。そうすると、商談や交渉の席で有利な立場になることがある。そうすると相手は下手に出て、私を褒めて持ち上げて、交渉をまとめようとする。これが一社であれば、露骨に、下手に出て、褒める作戦は取らない。(取る人もいるが)。しかし、数社が競合する場合には、正直、そこまでやるのか、と思うほど、下手に出て、褒めまくり、交渉を成立させようとする。酷い時には、袖の下まで使ってくる。

 私は、こういう相手の態度が大嫌いでした。なんか、そういうことをしてまで、うちから仕事を取る必要があるのか?と思いますし、もう少し人間らしく接して欲しいなと思います。上手いこと私を操作して、自分の思うようにことを勧めたいという相手の気持ちが透けて見えるような気がします。実は、父親も同じことを言っていたことを聞いたことがある。どうも、私のこういう感覚は父親譲りのようです。

 ある時、競合他社がほとんどいないにもかかわらず、私が嫌悪するほどに下手に出てくる方がいました。正直言って、非常に気持ち悪かった。しかし、その時は、なぜか、そこで嫌悪しながらも、冷静に状況を考えることができた。その時に、相手がこのように下手に出ているのは何故か?ということが頭をよぎった。

 実は、相手にこのような態度を取らせているのは、私自身なのではないか。私が相手にこういう態度を取らせるような態度で相手に向かい合っているのではないか、と思った。相手にとっては、生活がかかっているか、必死に交渉を成立させようとするのは、当然だよな、相手を嫌悪するばかりで、相手を見ていないのは、自分だったな、と思った。

 そうした時に、大嫌いだった相手の態度が、嫌ではあるけど、許せるようになった。仕方ないよな、と思えるようになった。


 先程の「丁寧に」とは、ここまで述べてきた相手の態度のことだったのかな?と思った。つまり、上手いこと相手を操作して、自分の思うようにものごとを勧めたい気持ちをもって、相手に接していたということです。実は、自分が大嫌いな態度を相手に対して取っている自分への嫌悪が最初の方に書いた湧き出てくる私の気持ちの正体なのかもしれない。そして、私の相手を操作しようとしている気持ちを相手は敏感に嗅ぎ取っているのかもしれない。だとすれば、うまくいくことはないよね。

 でも、「丁寧に」を取り払ったら、それはそれで上手くいかない。なんか、難しいものなんだな、と改めて思います。

 「丁寧に」は、最初から取り払えるものではないです。人間関係が出来てきたら、自然に取り払えるものなのかな、と思います。最初の時点でけっこう無理をしているのかもしれないのです。

 ある方からは、「下手に出る」と「丁寧に」は違うと教えられました。ここの違いが私には曖昧なんだと気づきました。

権力行使

 この文章を読み返すと要するに私は「権力を行使する」ことを嫌がっているような気がした。でも、権力が嫌いか、と言われれば、好きなんだよな。でも、相手が嫌がることを面白がって、強要するような権力の行使ってなんか、嫌いなんだよな。「権力を行使する側」は、私にとって、居心地が悪いのかもしれない。でも、たぶん、気づかずに「権力を行使する側」にいる場合は当然あるでしょう。

 なぜ、居心地が悪いのか?

 権力行使で考えると、「権力を行使する側」と「権力を行使される側」が想定される。私は、「権力を行使する側」に対する居心地の悪さは、私が権力を行使した場合に、その権力の影響を受けた人の反応を過剰に見てしまう気がする。そして、その権力行使に対する責任をついつい考えてしまう。この2点のような気がする。

 「権力行使」と「丁寧に」や「下手に」の関係を考えてみて、少し思うことがあります。私が「下手に」出て、相手を「権力を行使する側」、私を「権力を行使される側」という関係を作り出そうとしているような気がしました。つまり、私は「下手に」出ることによって、相手に権力を行使させようと操作しているのかもしれない。私が下手に出ることにより、相手を上に立たせて、権力行使をさせようとするのは、奴隷根性なのかもしれないような。そして、それは、無責任な態度なのだと思います。結局、ここが問題なんでしょうね。

 そう考えると、私が権力行使をした場合に、相手がどういう反応をするかを過剰に見てしまうから、こんなことになるのだと思います。結果、相手から嫌がられるかもしれない、という責任を負えないわけだ。それは、結局、相手の顔色を伺いながら、相手に接している。それが私なのでしょう。

 結局、誰にも嫌われたくないのが私の正体なのかもしれない。合わない人は合わないのだから、それなりに自由に振る舞っていきたいものだ。

<追記>

 ここまで書いてなんですが、「権力行使」と「意思決定」が少しごちゃごちゃになっている感じがある。

 「権力行使」は相手に対してある程度の強制力があるし、「意思決定」は方向性の決定であって、自分や共同体の中の話です。共同体の中での「意思決定」であれば、そこには、「権力行使」が介在する可能性は高いです。

 私が「意思決定」して、相手にその「意思決定」の内容を話して、合意して、進めていければ、いいように思います。ここで下手に出ないように気をつけないといけないですね。

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