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自分までの歴史を知る(家系図)

はじめに

 世の中の自粛ムードがまだまだ続いていて、何か息苦しさを感じる今日このごろです。

 イタリアがEU加盟国に医療物資支援を求めても、誰も助けてくれない状況だそうです。結局、人間の関係は、「相手に利用価値がある時には仲間のような顔をして、相手に利用価値がなくなった時には他人に戻る」というものなのかな、と思ったりしました。「なんか寂しい話だな」と思っても、誰かを助けようとするには、自分が助けられる状態でなければ、助けられないわけだから、仕方ないような気もします。

自分の先祖

 私達には、必ず、血縁上の父親と母親がいます。現代は、男性と女性の両方がいなければ、子どもが生まれることはありません。技術的には可能かもしれませんが。

 私を遡ると父母がいて、父母の両方に父母(祖父)がいて、祖父には父母(曽祖父)がいて、曽祖父には祖父(高祖父)がいて、、、といういのちのつながりがあります。

 自分自身から見て、高祖父は、4代遡ることになります。

 父母=02人

祖父母=04人

曽祖父=08人

高祖父=16人

 全部で30人です。私がここにいるということは、この人たちが生きてきた証だと思います。「この中の1人でも欠けていたら、私はいなかった」というお話を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。

 不思議なもので定年を迎えて時間ができた世代の人たちの中には、こういうことを調べて家系図を作る方々が少なくありません。話を聞くと面白いものです。

 近年は、冠婚葬祭の規模の縮小化などにより親戚がたくさん集まる機会が減ってきていると思います。それでも、集まる家には、たくさんの親族が集まっていることを見る機会があります。

 私の母方は、わりと集まる方の家だと思います。そうすると、集まった時に、人間関係がわからないことがあります。母の兄弟姉妹と母の甥姪はわかります。それ以外になるとなかなか理解するのが口頭では難しくなります。紙に書いてもらって、整理しながら、お話してもらわないとわかりにくいです。

 私は、わりと人間関係に興味がある方のようで、親戚関係に興味がありました。それで、父方と母方の家系図を制作しようと思いました。

戸籍収集

 高齢の親戚に聞き取りを開始しました。しかし、聞き取りでは、不十分だし、記憶違いもあります。このあたりをどうしていけばいいのか考えました。結論は、戸籍(除籍謄本など)の収集です。

 戸籍の収集の際の注意点があります。1976(昭和51)年から、戸籍の自由な閲覧ができなくなりました。その為、自分の身分を証明する必要があります。

 私の父の戸籍を取得する時には、運転免許証などで私の身分(親子関係)を証明しなければいけません。そして、祖父の戸籍を取得する時には、私の身分と父との関係(私と父が親子)であることを証明しなければなりません。遡れば遡るほどに証明するための書類が必要です。

 しかし、母方の戸籍(結婚前)を取得することは、私にはできません。親子であっても、直系でなければ、取得ができません。母に取得してもらう他ありませんでした。

 そうして、戸籍を収集していきました。私の先祖たちが、移動して本籍地を移した場合には、その履歴が戸籍には書かれているわけです。それを辿ると自分の先祖がどこから来たのか?ということがわかります。

 しかし、古い戸籍、いわゆる壬申戸籍と呼ばれるモノは閲覧が一切できません。これは、1871年(明治4年)の戸籍法に基づき、1872年(明治5年)に編纂された戸籍です。この戸籍には、いわゆる「身分」が書かれており、これが閲覧禁止の一つの理由とされています。
 実は、私も知り合いの方の壬申戸籍を見ました。というのは、壬申戸籍は、1968年(昭和43年)までは、閲覧が可能だったそうです。知り合いの方は、その頃までに相続の関係で除籍謄本を取得していたのです。見て驚きました。続柄に「妾」という方が何人かいました。そして、身分も書かれていました。これは閲覧禁止になるなと思いました。
 1886年(明治19年)には戸籍法の改正がされ、屋敷番制度から地番制度に変更されました。私の先祖の古い住所も「XX番地」ではなく、「XX番戸」となっています。現在の「番地」表示は、この頃に「番戸」から変更になったようです。
 1898(明治31年)には旧民法で家制度が制定されます。これが戸籍にも影響を与えました。同時に「身分登記簿」という制度が設けられます。しかし、1915年(大正4年)に、「身分登記簿」は廃止となります。
 その後、改正がなされたのが、昭和22年の民法改正による「家制度」の廃止です。これを受けて、昭和23年に戸籍法が改正されて現在の戸籍となっています。

 除籍謄本には、前戸主、戸主、そして戸主の配偶者や子どもや孫が書かれています。

 私の場合は、曽祖父の代までの戸籍を取得できました。しかし、曽祖父の代以前のものは、廃棄処分にされていました。廃棄処分した場合には、「いつ廃棄処分したか」という「廃棄済証明書」という記録を請求することができます。これを手元においておき、間違いなく、請求をしたが、戸籍が廃棄処分されていたことを後からも確認できる状態にしておきます。

過去帖

 残念ながら、廃棄処分にされており、曽祖父よりも前の世代に遡ることができませんでした。しかし、それよりも先を調べる方法があります。過去帖です。私の家の過去帖がありました。これは曽祖父の代のものです。これによって、更に2代遡ることができました。そして、その過去帳には、曽祖父がお世話になっていた寺院の名称が書いてありました。早速、調べたところ、現在も同じ地域に同じ名前で現存していることがわかりました。お手紙でお尋ねをしたところ、寺院に残っている過去帳の記録を教えてくださいました。

 ただし、こちらも戸籍等を見せて、身分を証明した上でのお願いをしました。寺院の過去帖には、身分などのことが書かれている場合があり、誰にでも見せていいものではありません。この点を考えれば、当然のことです。

おわりに

 「そんなことをして何がおもしろい」と私の同世代の人たちは言います。私は、ただの興味本位だったり、人間関係が好きだからです。

 面白いもので、私の父も50歳ぐらいまでは、まるっきりこういうことに興味がありませんでした。それどころか、家系図を作る人たちを馬鹿にしているような言動がありました。その理由を尋ねると「自分の血筋の正当性を主張する必要なんかない」という理由でした。確かに「自分の先祖は武士かな」という気持ちを持って調べる方もいるという話は聞いています。私は、あんまり武士に憧れるという気持ちがわからないものですから、こういう発想がいまいちわかりません。そんな父もある年齢から自分の先祖のことが気になり始めました。「以前の馬鹿にしていた態度はなんだったのか」と思い、父を何度か咎めました。しかし、話を聞くと、結局、気になるそうなんです。たぶん、死を意識した時に、これから自分がどこにいくか、そして、その自分はどこから来たのか、そんな思いが浮かんできたんじゃないかなって気がします。

 ふと思い出した言葉があります。

 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(原題:「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?」英訳:「Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?」)

 これは、フランスの画家であるポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin、1848ー1903年)の作品の名前です。こういうモノを抱えているのが人間という存在なのかな?と思ったりしました。


 自分までの歴史を調べてみて、非常に面白かったです。しっかり、自己満足しました。

 最後に一言。家系図を作ったり、調べようと思っている方は、戸籍には処分の年限があるので、早いほうがいいですよ。

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