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【講座】合戦の舞台となった静岡の名城

静岡市の歴史や文化に関連したイベント情報です。

すでに申し込みは終了しているのですが。
葵生涯学習センター(アイセル21)で、全4回開催された講座です。
静岡県下のお城について、静大の小和田先生が、合戦の舞台としてどのような役割を果たしたのか、歴史の舞台裏も含めてお話しされるようです。

合戦の舞台となった静岡の名城

  • 5/10 第1回 武田信玄の駿府今川館攻め

  • 5/24 第2回 三方ヶ原の戦いと浜松城

  • 6/ 7  第3回 高天神城をめぐる徳川・武田の攻防

  • 6/21 第4回 秀吉の小田原城攻めと山中城

講師:小和田哲男氏(静岡大学名誉教授・公益財団法人日本城郭協会理事長)

各回詳細(チラシ引用)

第1回:武田信玄の駿府今川館攻め

永禄11年(1568)12月、武田信玄は徳川家康と手を結び、それまで同盟関係にあった今川氏真の駿府・今川館に攻めかかりました。このときの今川軍は薩埵峠(さったとうげ)まで出ますが、そこでは小競り合いがあった程度で兵を引いています。武田軍による今川館攻めの様子と、今川館を守る愛宕山砦・八幡山城・丸子城についても触れます。

第2回 三方ヶ原の戦いと浜松城

徳川家康と手を結んだ武田信玄でしたが、その後、両者は対立し、ついに元亀3年(1572)10月、信玄は家康を討つべく甲斐を出発し、家康の居城・浜松城に迫ります。しかし、このとき信玄は浜松城を攻めず、家康を三方ヶ原(みかたがはら)におびき出し、そこで戦いとなりました。そのころの浜松城と支城・二俣城(ふたまたじょう)についてお話します。

第3回 高天神城をめぐる徳川・武田の攻防

高天神城(たかてんじんじょう)は元は駿府・今川館の支城でしたが、徳川家康が遠江に攻め込んできたとき、城主の小笠原氏助は徳川方になります。天正2年(1574)、信玄の跡を継いだ勝頼が攻めて落としますが、それを取り返すべく家康が攻め、激しい攻防戦が実に7年にわたって続きます。難攻不落といわれた高天神城の独特の縄張りについても紹介します。

第4回 秀吉の小田原城攻めと山中城

豊臣秀吉の天下統一最後の総仕上げともいうべき戦いが天正18年(1590)の小田原攻めです。北条側は、足柄城―山中城―韮山城のラインで豊臣の大軍を防ごうとしましたが、東海道が通る山中城を突破され、最終的には北条氏直が降伏して戦いは終わります。小田原攻めの最大の激戦となった山中城の戦いをくわしく追いかけます。


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