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幻想録 / 水と火

 夢をみた。

 それはひどく白くて、どこまでも真っ直ぐで、つるりとしていた。凹凸はひとつもなかった。霜を孕んだつめたい強風が吹きつける度身を震わせながら、気温からすれば明らかに薄く頼りない衣服をきつく身体に巻きつけるようにして、果てしなく延びてゆくそれの先端を見定めようと首を仰け反らせた。それは空へ向かって永久に続いているようであったが、上部は霧に溶け込んで見えなくなっていた。一部の隙もない、完璧な佇まいだった。私は、この場所から逃げ出したかった。


 すべての景色は、殆ど3色のみで構成されていると言ってよかった。ひどく白い「それ」、薄く茶色い砂浜、青みを帯びた暗い灰色の水。大気もまた白く灰色だった。水は海かも知れないし、そうでないかも知れず、ただ澄んでいた。風が吹く時、僅かに波立って揺れるが、音を立てなかった。穏やかでありながら、見ていると余りに物淋しく、つめたく、足の先から徐々に力が抜き取られていくような景色だった。そのまま踵を返して反対側を向けば、戻る道があるというごく当たり前の事実が、私には理解出来なかった。出来ないと言うより、実際道は前にしかなく、戻るという選択は残されていなかった。選択肢など、そこには存在していなかった。


 上に登るには、どこかに扉や階段があるのが前提のはずだが、それらはどこにも見当たらず、つるりとした表面をよじ登るしかないようだった。登るにしても、大人5人が手を繋いで囲んでもまだ足りないくらいの直径はあった。こんなものに登るなんて、何の為に、と思いながら、登らなければならないという観念が強く意識を圧迫した。それはひどく私を苦しめた。そして、どこにも手すりや凹凸のない表面や、塗りたてと思しき化学塗料の突き刺さる匂いにくらりとして、後頭部から頭頂にかけてゆるやかに痛みが鈍く広がり始め、薄っすらと気分の悪くなった私は、思わず「それ」に手を付いてしまった。手はずるずると滑り落ちて、「それ」に身を預けたままどうにもならず、怖くなり、ぎゅっと目を閉じた。ある種毒のような、呪いのような触れてはいけないものに触れてしまったと思った。触れたら最後、一生ここから離れることが出来ないような気がして、自らの行為が悔やまれた。しかし、足には力が全く入らず、立ち上がって身を引き離すことも不可能だった。

 どれほどそうしていただろうか。きめの細かい粉の入った袋に、とふりと匿し込まれるような温もりを感じて目を開けると、異常に顔色の白い若者が私の肩に一枚の布を掛けていた。口元はやけに赤く、瞳は目の前の水と同じ色だった。縫い目ひとつない、透明な更紗のように薄く柔らかな布地は、肩を揺らす度にさやさやと衣摺れて、私の気持ちを少しほぐした。天衣無縫とはこのことかと何となく考えていると、若者は恥ずかしそうに、やや得意そうに笑った。若者は、自らの名をオートクチュール、と単語ひとつで教えてくれた。仕立屋さんなの、と聞くとそれは何だと問い返された。そうではないようだった。私が仕立屋の仕事について話すと、若者はさも愉快そうに笑い転げた。転げたのは若者ではなく笑いの方で、ほわんとした羊の毛のような塊が若者の口からころころ生まれて転がった。生まれてしばらくは宙に漂い、徐々に浮かび上がって、数秒経つと空気に霞んで見えなくなった。それはシャボン玉によく似ていた。


 病的なほど白い若者の肌と、「それ」の壁の色には、どこか通ずるものがあった。ここに住んでいるのだと言われたら、疑いもなく信じたに違いない。それは私にとって残された希望でもあった。居住者なら「それ」の勝手が分かっているはずだから。しかし若者はここに住んでいるわけではなかった。正確には、家を持たないらしかった。いつでも存在しているわけではなく、存在したい時に存在するのだ、と若者は話した。私は若者が羨ましかった。そんなことが出来たなら、おそらく今私は存在しない方を選んでいた、と言うと、若者は冷めた目で私を見て、君はずるいやつだね、と笑った顔のまま呟いた。私は若者を恨めしく思った。絆創膏を貼り続けた皮膚のように不健康な見た目なのに、完璧な布を作り出し、気分次第で存在をして、笑ったままの冷めた目で私を貶す。つめたく無慈悲な「それ」に登らなくてはならない私が、柵を逸した者から非難されるとは、どう考えても不公平だった。それでも私は礼を言うしかなかった。布地は暖かくて、恩を受けた以上、礼儀を怠る訳にいかなかった。若者は私の肩に手を添え、大丈夫だよ、と囁いて消えた。何に対しての大丈夫なのか、分からなかった。


 「それ」に寄りかかった状態で思考を燻らせていると、雨が降り始めた。周囲の白さがそれと分かる程度に色付き出し、私は夕暮れが近づいていることを知った。雨は、さかさかさか、と音を立てて地上に落ち、辺りは薄紅く染まっていった。さかさか、という音にじっと耳を傾けると、擬音語が落ちていると言う方が正しく思われた。さかさかさか、と目に見えない沢山の擬音が天上から降り注いでいる場面を想像してみた。その光景は私を苛立たせた。私は雨がすきだった。それは雨が水であったからだった。水は真っ直ぐに降り注ぎ、森を海を動植物を、包み込んでは潤した。しかし擬音語は嵩張って、絡まり合って、ぐちゃぐちゃで、解けない塊になって、個々に棘があり、不愉快なものだった。哀しいほど無益で、落ちてくる意味を持たないのに、叙情的な風情で堂々と振る舞っているのがむかむかと腹立たしかった。私の内にはついぞ存在し得なかった物体が、胸の奥で熱を持って轟々と疼き出した。それは、一つの感情だった。感情は、こんなにも荒々しく、沸々と湧き出すものらしかった。けれど苛々と心を乱しながらも、却って私は悦びを覚えずにもいられないのだった。私の感情の主成分は水で満たされていて、常につるりとして凹凸がなく、内も外もない、プラスチックの板だった。ところが、そうでないこの情動は私の内でひどく鮮烈で、恐ろしい危険を内包し、今にも飛び出そうと躍起になっているのが可笑しく、また愛しく思われた。生きている、と思った。


 「それ」に登る手段はひとつしかなさそうだった。内側から湧き起こる情動を沸々と煮立たせて、熱く熱くなってゆくのに任せて出来るだけ空気抵抗がないよう腕をぴたりと付けた姿勢で身体を平たくし、あとは何らかの手段で火となるものを点けることができれば、私はロケットのごとく上空に向かって飛び出せる、そんな確信があった。そうすれば、骨折ってよじ登る必要もなく、「それ」の頂上を目指すことが出来る。問題はその火だった。ここには空と水と砂しかなく、例え本物の火を用いたとしても、私の身体は燃え尽き灰となってしまう。特別な火でなければならなかった。特別な火。特別とは何だろうか。燃えない火? 燃えないなら、それは火でないのではないか。火というのは比喩で、比喩なら燃えていなくてもいい。では火という喩えを使う目的はどこにあるのか。肝心なのは、燃えているのと同じ状態を作り出しそれを維持することだった。私は散々考えを巡らせながら「それ」に凭れかかった。もう、それほどつめたくはなく、つるりとしてもおらず、ひどく白いわけでもない気がした。あれほど一部の隙もなく厳然と見えたのに、微かな温もりさえ感じられ、ほぼ無意識に私は「それ」の表面を指先でそっと撫でた。その途端、


すうぅぅん


というまるで誰かの発した擬音語のような音を立てつつ、「それ」が動き出した。私は驚き、なんとか身を離して距離を取った。凄まじい速さで、「それ」は収縮していった。見る見るうちに、小さく短くほっそりとして、空に溶け込んでいた先端が視界の片隅に映るのが見えた。そこには、紐か糸のようなものが差してあって、見覚えがあると分かるが、それが何か咄嗟に思い出せなかった。「それ」は遂に私の背丈ほどになり、膝ほどの高さから踝ほどの高さに縮んで、そこで止まった。全体でやっと5センチほどしか残っていなかった。


 私がようやく「それ」が何であるかを理解した時、背後からさり、と砂を踏む音がして目の前に人影が落ちた。顔を上げて見ると、さっきの若者が、にやにやと目を細めながら「それ」を見つめていた。大丈夫か、と問うので、私は首を小さく縦に振った。大丈夫かそうでないかで言えば、前者だった。嘘は付かなかった。ほらね、と若者は愉しそうに肩を揺すった。火を点けてあげよう、君がそうしてほしいのなら、と若者は言った。私はまだ自分が火を求めているような気もしたが、それは何の為であったか忘れてしまった。雨の染み込んだ身体は熱くもなく、疼くように沸き起こる感覚もなくなっていた。私はまたプラスチックに戻されようとしていた。それでも、燃える火を見てみたいと思った。


 若者が手のひらに「それ」を乗せ、指先で先端の糸に触れると、ぼわ、という音がして、すぐに橙色の火が明るく灯った。暖かな光が砂浜を照らし、私と若者の影や、一粒一粒の砂の形をくっきりと浮かび上がらせた。それによって、随分前から日は落ち、いつしか夜が訪れていたことを私は知った。小さな灯火はよく燃えて、燃えて、「それ」を瞬く間に溶かしていった。5センチほどあった「それ」は小指の先ほどの長さになり、1ミリずつ徐々に短くなって、終に若者の白い手のひらに吸い込まれるようにしゅ、と消えてしまった。焼石に雫が跳ねたような一瞬の後、辺りは真っ暗になり、何もかも見えなくなった。若者は、ぱんぱんと手をはたき、大丈夫だよ、ともう一度言った。闇に黒く沈んだ水が風に波立ち、静かに騒めいていた。


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