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恋の斜め目線


18歳の春、私は大学生になった。

そして、思うところあって茶道部に入った。

この茶道部は割と自由なところだった。活動は毎日やっていて、部室も大抵いつも開いている。部員は自分の都合のいい時に来て、都合のいい時に帰って良いということになっていた。

先生は一定の日時に来て指導してくれるが、それ以外は先輩から教わったり、お互いに教え合ったりする、というシステムであった。

という訳なので、人によっては、お互い毎日部室に行っていても顔を合わせることがない、というようなことも出てくる。私もはじめのうちは、誰が新入生で誰が先輩かも分からず、ほとんど毎回「はじめまして」と自己紹介するような状況であった。

五月の連休を過ぎて、そんな状況が少しおさまり、大体の部員の顔が分かりかけてきた頃であった。

「ねえねえ、Hさん!ここここ!私の隣に座ってくださいよぅ!!」

正座して、自分の横の畳を新入生のKさんがバンバン叩いていた。その視線の先には、3回生の男性部員であるHさんがいた。

なんだ?と思った。ここは合コン会場か?と私は密かに眉をひそめた。

いや、恋愛するなと言う気は毛頭ない。「恋愛禁止」なんていう団体は不健康だと思っているくらいで、ここがそんなところであったなら今すぐ退散したい。私だって恋に恋する18歳の乙女なのだ。

ではあるが、もうちょっとひっそりやってはもらえまいか?と、思うのである。まあそれは、自分の恋愛スタイルとは違っているのが大きいとは思う。私好みのスタイルを他人に押し付ける気はないけれども、それにしてもKさんのやり方には思わず引いてしまう。

人は人だから、まあいいか、とは思うものの、毎日のように他人の恋のアプローチを見せつけられるのには正直参った。しかも、だ。ある時などKさんは私を呼び止め、いきなりなんだかウルウルした目で私に訴え始めたのだ。

「あのね、Hさんは背の高い女の人が好みなの。私も背は高い方だけど、あなたの方が高いから、Hさん、本当はあなたの方が私より好みなんじゃないかと思うの。ねえお願いだから、Hさんの事、好きにならな…」

「ならないからっ!絶対に大丈夫だからっ!!」

私は耐えられずに、Kさんのセリフに食いつき気味に返事をした。

本当に?という彼女にうん、と言いながら、内心で

なるかあ~~~~っ!!

と叫んでいた。何が嫌って、恋愛のいざこざに巻き込まれるほど嫌なものはない。絶対に邪魔しないから巻き込まないでくれ、とこっちがお願いしたいくらいだ。

どんなに遠巻きにしていても、Kさんの恋のパワーは凄かった。最終的には

「Hさん、私より体重軽いんですか?じゃあ、Hさんより私が軽くなったら、付き合ってください!」

などとみんなの前で言いはじめて、私は本当に驚いた。なぜそれを、この場で言ってくれるのだ…??とこれ以上はないくらいに、ドン引きした。

ではあるが…。

このころの私はKさんの行動に少し慣れて、冷静に見ることが出来るようになっていた。

Kさんの気持ちは、実にまっすぐだと思う。そしてアプローチもバカ正直にまっすぐだ。

野球で言うと、ストレートの剛速球一手。なにか策を弄するでもなく、誰かを陥れるでもなく、自分の思いを真っ正直に伝えている。何より、明るい。

そんな剛速球を毎日のように投げつけられているHさんは、というと、いつも困ったように笑いながら、Kさんの思いを受けるでもなく、拒むでもないように見えていた。

確かに、みんなの前で堂々と「好きです!!」と言われて「俺も!!」とか答えていた日には、それはそれでどうかとは思う。どこか他所で勝手にやってくれ、というやつだ。

ではあるが、もうそろそろ、受けるか拒むか、はっきりしてやったらどうなんだ?という、私の中に女子としての正義感のようなものが芽生えはじめていた。あそこまでまっすぐなアプローチをうけておきながら、答えてやらないというのはないだろう?

「私の方が体重が軽くなったら付き合ってください」というセリフは間もなく「〇キロやせたらHさんに付き合ってもらえるの~」に変わっていた。何キロだったか忘れたが、2,3キロというありきたりな数字ではなかったと思う。そうして彼女は毎日カロリーメイトだけを食べるというやり方で、実際にみるみる痩せていった。

これ、Hさんどうすんのよ、と私はハラハラしながら見ていた。ホントに痩せるよ?Kさん痩せるよ?その時は付き合うって、ちゃんと返事してるのかな?付き合うんなら、ダイエット関係なしに付き合えばいいんじゃない?!なんでそんな、条件なんかつけるんだろう?!

私は矢も楯もたまらなくなって、同回生の男子部員Mにこの思いを訴えた。彼は冷静に「そのリミットはKの方が作ったのかも分からんけどな」と言い、ついでに割と迷惑そうな顔で「なんで俺が、Kのことで君から怒られなあかんねん?」と言った。ああそれは、実に正しい。Mよその節はすまなかった。

恋愛プロセスは、全部オープンにするか、全部隠すかのどちらかにしてもらわないと、傍にいるものは困惑する。これはそのいい例である。私はそれからも「まあ、私の知ったことでもないけどさ」と思いながら、Kさんがきれいに痩せていくのを目の当たりにして、事の流れをハラハラして見守っていた。

夏前くらいだろうか、どこからか、二人は付き合い始めたという情報が流れてきた。相変わらず、Kさんは部室の中でHさんにメロメロだ。Hさんもやっぱり、相変わらず困ったような、嬉しそうな顔でいるばかりである。

このころの私はもう、Kさんが心配でたまらなかった。あれほど努力して付き合っては「もらって」いるものの、Hさんは一体、どんな人なのだろう?私はよく知らないが、KさんもHさんと出会ってからの時間は私と変わらないはずである。もしHさんが不誠実な人で、単に熱いアプローチを受けて断りにくかったから据え膳喰ってみただけ、みたいな感じで、そのうちポイとKさんを捨てるようなことがあったらどうしよう?

私は目に見える範囲でHさんを観察し続け、Kさんののろけ話を情報収集と思って辛抱強く聞き、何かあったら盲目になっているKさんの代わりに、Hさんに厳しく意見してやらねばと思っていた。

そうして夏が過ぎ、秋になるころ、別の上級生Nさんと偶然キャンパス内で会った。先輩は言った。

「いやぁ~、ちょっとあれ、勘弁してほしいんだけど。Hの奴」

「どうかしたんですか?」

「あいつが図書館の前を一人で歩いてるの見かけたんだけどさ、もう、ニヤニヤデレデレしてフラフラ歩いてんのよ!!気持ち悪かった~!!彼女出来て嬉しいのは分かるけど、ちょっとあれはないわ~。俺、声かけるのやめたもん」

「うわぁ、それはそれは…」

笑いながら、私は嬉しかった。「もう大丈夫」となぜか大いに安心した。Kさん、君の見る目は間違ってなかったみたいだ、と思った。

その話を聞いたくらいから、何があったのかは知らないが、HさんもすっかりKさんにメロメロになり、部室では「Hさ~ん♡」「Kちゃ~ん♡」という、これまたはた迷惑な場面が多数展開する事態となった。しかしこのころは、少なくとも私は完全に二人の会話をスルーする技を身に着けて、日々楽しく部室ライフを謳歌するようになっていたので、とくに私の生活に支障はないのであった。

次の春が巡ってくるころには、私はKさんをKと呼ぶようになり、すっかり仲良くなっていた。以来今日まで、Kは変わらず大切な友人である。

一方、KとHさんは大学を卒業して数年後に結婚し、この春には結婚20周年を迎えた。さすがにすっかり落ち着いてはいるものの、二人は今も仲良しである。

あのピンク色の嵐のような日々を知るものとして、この上ない迷惑であることは重々承知のうえで、この話をKとHさんに捧げる。20周年、おめでとう。


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