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一生とはなんぞや

「一生大事にします。」

と、彼は言った。

プレゼントしてもらった帽子が
ずっと欲しくて
買おうか悩んでたやつだったらしい。

その彼は
余命数ヶ月と宣告されたばかりだった。


だけど
死がすぐ近くまで来ていることを

悲観するどころか

そんな素振りすら感じさせない
いつも通りの振る舞いだった。

キャンプグッズが
毎日のように
Amazonから届くこととか

毎年 春に釣ったイカが
家の冷凍庫の半分以上を
占めることとかを話してて

キャンプ飯へのこだわりは抜かりなく

食べたみんながうなるほどに
おいしく作ってくれた
ブイヤベースの作り方は内緒にしたがった。


特別は要らないっていう歌詞を
どこかで耳にしたことがあったけど

それってこういうことかと
初めてわかった気がした瞬間だった。


過去を語るなど一瞬もなくて

そもそも

余命のことを
本人は隠していたので

実はわたしたちが
それを知っているということ自体、

彼は知らなくて

余命を
都合の良い 言い訳にしていない感じが

生き様として見えた。



チャレンジしたいのに
自分にはできないと思って諦めてきたことが

めちゃくちゃしょうもなく感じた。


やりたいこと

やろうと思って先延ばしにしてること

経験でき得ること

全部やろうって、本気で思わされた。


今日死んでも、一生。
明日死んでも、60年後に死んでも、一生。

どれだけ長く生きたかとか
あんまり関係なくて

なにを大事に生きていて
どんな生き方をしているのか、が

そのひと自身の一生を
象っていくのかも。



「余命宣告された人」

という情報が加わるだけで

普段は意識しないようなことに
考えを巡らせたり、感じたり。

ふしぎ


命の期限が
明確になるって

どういう気持ちなんかなって考えてみたけど

まだだいぶ先の未来まで
分かり得ないと思う。

いまのわたしには、生きることしかできない。

生きていくっていうのは
何をみて、どこを目指しているか。
環境や状況や過去じゃない。



いつか訪れる死ぬという体験。

わたしたちが日常で
何気なく思い描く未来は

決して確約されているわけじゃない。

「あ〜面白かった!」と言いながら死にたい。
そして、楽しむために生きていきたい。


生きてるって素晴らしいことなんやなって

とても静かに、
とても力強く、
気づかせてもらえた青空キャンプでした。


この世の生き物すべてが
1秒でも多く
楽しい時間を過ごせますように。

そんな気持ちにさせてもらえた
人生で初めての経験。

一生忘れないと思う。

次はブイヤベースでリゾット作ってもらお。

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