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【私の感傷的百物語】第一話 階段の暗がり ~前書きにかえて~

実家暮らしの僕は、毎朝、二階にある寝床からゴソゴソと起きだし、階段を使って一階へと降りていきます。今となっては怖くもなんともないのですが、子供の頃(それも物心ついた時からと言ってもいいと思います)、この階段が恐ろしくてたまりませんでした。

僕の家は築百年くらいの木造建築です。その階段は勾配が急で、途中にも、踊り場ににも、窓一つありません。さらに照明の具合が昔から悪く、今でもたまに真っ暗闇で上り下りするハメになります。一歩ごとにギイギイと木のきしむ音が伝わり、木片が一緒に塗り込まれたような、黄土色をした両側の壁は、幼少時の僕の心を激しく締めつけました。


実家の階段

踊り場には、当時も今も二枚の絵が飾ってあります。一枚は作者不明で、バラの生い茂った柵をバックに、座った女性がこちらを見つめている絵。もう一枚は、(下に大きくシャガールの名前が印刷された)翼の生えた女性と緑色の生き物が飛行している絵。どちらの女性も肌は真っ白で、暗い時でも、踊り場からぼんやりと輪郭が浮かんで見えます。なぜこの二枚の絵がここに飾られているのか、僕は知りません。

幼い頃の僕は、朝、この階段を一人で降りることができませんでした。
「降りておいで」
と母の声がします。日中でも階段や踊り場は真っ暗です。照明スイッチは子供の手の届かない位置にあります。飾られた女の絵がぼうっと見えます。我慢できず
「ちょっと来て!」
と呼んでは、母を二階まで来させて一緒に降りていました。度々のことなので、そのうち母も
「自分で降りてきなさい」
と言うようになります。その日、階段の電気は、たまに起こる不具合のせいか消えたままでした。暗がりを見下ろします。あの女が見えます。ひょっとしたら、今日にかぎって危害を加えられるのでは、と本気で思いました。逡巡(しゅんじゅん)の末、意を決して階段を駆け下りました。微妙に反響しているのか、我が家の階段は思い切り踏み込むとダーン、ダーンという太鼓のような音がします。子供の足ですから、小太鼓くらいの音を立てながら、暗闇に挑みかかっていたのかもしれません。その時、脳裏に浮かんだのは、なぜかフランケンシュタインの怪物だったと記憶しています(ただ、もしかすると高校時代にイベントで観たスペイン映画の記憶が混ざっているかもしれません)。

あの出来事が、自分の「恐怖」というものに対する原初体験のはずです。これを皮切りに、これまで大人になって生活をしていくうえで、僕はさまざまな恐ろしい感情に縛られてきました。
はっきり言って、僕は臆病者なのです。これまで何度、脂汗を流し、目に見えぬ存在に震え、眠れぬ夜を過ごしてきたか知れません。しかし臆病であればこそ、恐怖の持つ苦味や甘味を心の底から「味わう」ことができたと考えています。これから、僕が「怖い」と感じた存在や思い出について、百物語形式で書き綴っていきます。共感し、一緒に恐怖心を抱くかどうかは読者の方次第ですが、最後のロウソクが消えるまで、楽しくおつき合いいただければ、幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

後藤師珠馬


鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「逢魔時(おうまがとき)」

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