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【私の感傷的百物語】第五話 蜘蛛嫌い

蜘蛛が苦手です。いつから嫌いになったのかは分かりませんが、とにかく蜘蛛を見るだけで身も凍るような嫌悪感に襲われます。原因はだいたい分かっています。古い木造の我が実家には、真冬の時期以外、年に数回は必ず屋敷蜘蛛が現れるのです。それも、大人の手の平をいっぱいに広げたような、巨大なやつです。

僕も年齢を重ねるごとに、屋内に出る蜘蛛でも、小型のハエトリグモには愛おしささえ感じるようになりましたし、慎ましやかに自分の巣から外に出ないジョロウグモなどは、にこやかに許容できるようになりました。ですが、あの、アシダカグモという、狡猾で神出鬼没な蜘蛛だけは、今でも突然出くわすと叫び声をあげ、腰を抜かさんばかりになります。

思うに、人間が一番安心し、くつろいでいる場所(寝室や居間、風呂場など)に、なんの前触れもなく現れるのは、幽霊や妖怪の所業ではないでしょうか。僕は蜘蛛のほうが嫌悪を覚えましたが、ゴキブリが嫌われる理由の一端にも、同様のことがいえるでしょう。防ぐことはまず不可能で、理由なく出てくるあたりは下手な怪異よりもたちが悪いかもしれません。ただひたすらに獲物と伴侶という原初的な欲望のみを求めて、人間の室内へと侵入し、徘徊する彼・彼女らの姿を連想すると、その愚直なまでの生きんとするための盲目的意思に、鳥肌が立ってきます。もちろん我々も含め、他の生き物も根本的には同じ本能を持っているのでしょう。しかし、それを束の間、穏やかなものに変えてくれる安らぎの場所で、生々しい衝動を見せつけられることに恐怖を感じるのです。

余談ではありますが、現在の奈良県桜井市に伝わる怪異に「蜘蛛火」というのがあって、何百、何千という数の蜘蛛が一塊の火の玉と化して飛び回り、当たった者は死ぬといいます。僕などは、見ただけで命を落とすこと必至でしょう。


鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」。


オディロン・ルドン「微笑む蜘蛛」


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