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【私の感傷的百物語】第十三話 お盆の朝

幼い頃……いえ、今でも夏のお盆の期間というのは、なんだか特別な気分がするものです。座敷には祖霊をお迎えするために、お飾り(ナスの牛やキュウリの馬)、お供えの品々、仏壇から移された位牌や燭台が置かれます。夜になって、座敷の電気を消し、ロウソクに火を灯すと、怖いというよりも、神秘的で荘厳な雰囲気が漂い、思わず座布団の上に正座して、背筋を正してしまうのでした。

ロウソクと線香の明かりというのは、ずっと眺めていても飽きません。ゆらめく小さな火と、立ちのぼる煙の前で、本当にご先祖様が隣に来ているような、そんな静かな興奮を味わうのは、心地良いものでした。かえって、座敷が電気の光に照らされている時のほうが、不自然な明かりの中にできるわずかな影がやけに際立って見えて、恐ろしかったです。

座敷には、曽祖父の兄にあたる人の写真が、額縁に入れて飾ってあります。この方は旧日本海軍に所属していて、戦艦「河内」の乗員だったと祖父から聞きました。河内は大正七年に事故で転覆しており、その際に殉職されたのでしょう。水兵服に身を包み、凛々しい表情で座敷を見下ろしています。少年時代には、お盆の際に座敷をウロウロしながら、よくこの写真の人物と心の中で会話したものです。思えば、故人の写真が堂々と飾られているのは家の中でもここだけだったので、僕にとって一番身近な彼岸世界の住人が、この兵隊のお兄さんでした。今、たまたま写真を見ても、色々な感情が湧いてきます(そういった意味では、人物写真というのは大変大事なものですね)。

お盆の朝には、お坊さんがやって来て、座敷で題目を唱えます。家人はみんな、お坊さんが唱え終えるまで正座して待っているのですが、あれは、小学校低学年の時だったでしょうか、僕はこの場面で不思議な体験をしました。だいたいがお経や題目を聞いている時というのは、子供にとって退屈なものです。僕も一応は聞いている姿勢を保ちつつ、座敷の中をあちこち眺め回していました。そうしていると、自分が座っている左側、天井近くの壁に、柱か梁の影ができているのが目に留まりました。しばらく眺めていると、この影が題目の声に合わせてフラフラと動き出したのです。影はまるで虚無僧のような人形になって、その場でグルグルと(ちょうど、盆踊りのような手つきで)踊り続けます。僕は、それをじっと見ているうちに目が回り、頭は混乱してきて、そのまま動けなくなってしまいました。題目が終わり、はっと我に返ると、影はもとの姿に戻っていました。

こうして文章にすると、我ながら荒唐無稽なエピソードに思えます。聞き慣れない題目の声で催眠術にでもかかったような状態となり、幻覚を見たのでしょうか。踊る影の正体は分かりませんが、なんとも忘れられない、盆の日の思い出です。


座敷に飾ってある写真。


影が踊っていた場所。

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