深夜2時に「死にたい」と呟くと「いいね」が来ることについて

「死にたい」

と、ある日Twitterで呟いた。深夜2時に。行き場のない孤独を吐き出すように。

するとすぐに、ぽん、といいねがついた。顔も本名も知らない人から。

この人はどんな思いで、私の「死にたい」にいいねしたのだろう、と思った。

SNSの「いいね」には種類がある。

おお、いいじゃん、の「いいね」。

うわあ、すごく好き、の「いいね」。

大丈夫?病んでない?の「いいね」。

死にたいなら早く死んじゃえばいいじゃん、の「いいね」。

そのどれもが、小さなハートの形で送られる。

私はTwitterに毎日小説を投稿し始めてもう3年になるけれど、どんなものが「いいね」と言われるのか分からない。構成を練ったものより、バス待ちの5分間で書いたものの方が沢山の「いいね」をもらえることがある。メロスには良い小説が分からぬ。ただ、一つだけ確かなことがある。

私が小説を書くのは、沢山の「いいね」が欲しいからではない。

私は私が大切にしたいもののために、毎日小説を書いている。救われなかった過去を救いたくて、「私はここにいる」と声を上げたくて、エゴだと言われようが、どこかで雨に打たれている誰かの傘になりたくて。

あと一日くらいは、生きてもいいかなと思うための理由が欲しくて。あるいは、理由になりたくて。

だから何だと言う話なんだけれど。「いいね」をもらえば嬉しいことも事実なんだけれど。

でも、大切なものは見失わずに、大切にしたいのだ。私は。


深夜2時に私の「死にたい」にいいねをくれたあの人が、いつか「死にたい」と呟いていたら、私は、

「奇遇ですね、私もです。ところで、今夜は月が綺麗ですよ」

の意を込めて、そっと「いいね」を送ろうと思う。


皆さん、いつもありがとう。

優しい「いいね」をあなたに。

どうか、良い夜を。

眠れない夜のための詩を、そっとつくります。