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生きてしまったような気も

私はいつか、自分で死ぬだろうと思っていた。

19歳になる前も、20歳になる前も、24歳になる前も思った。

14歳のころ、身体的にも精神的にも「死」を感じた。それから10年が経った。そして、14+10の先が始まろうとしている。

愕然としてしまう。あのとき私は、一度死んだような気もする。でも、25年分の記憶と傷は、確かに私のなかに在る。生き残った。生き残ってしまった。生き残ることができた。適した表現がわからない。生きている、ということしか。

生き残った人は、今はもうこの世にいない人の分まで、生きなければならない。言葉にならなかった思いの分まで、書かなければならない。

書くことで、たくさんの人と出会った。たくさんの景色を見た。遠くへ行きたいと泣いていた私を、想像以上に遠くまで連れてきてくれた。色鮮やかな孤独とともに。

書くことで、致命傷をたくさん負った。今も、夜中に飛び起きたり、急に息ができなくなったり、人間すべてがこわくなったりすることがある。生きている限り人は、傷つき傷つけてしまう。そのことに、まだ折り合いがつかない夜がある。言葉が刃になってしまうのも、刃にされてしまうのもこわい。押し殺して押し殺してどうしようもなくくるしくて、でも、そのたびにもう一度ペンをとって、救いを書こうとした。誰に嗤われてもよかった。愚かしくてもよかった。私は私にしか書けない救いを、どうしても書きたかった。

救われなかった自分を救うのは自分しかいない。同じ深層で救いを求めている誰かに届くかもしれない。そうしたら私はまだ、生きていていい気がした。文章は救いであってほしかった。そんな文章を書ける人間で在りたかった。

書いて書いて書いて書いて、何枚も破り捨てた。そうして世の中に放った言葉を、大切に見つけてくれる人たちがいた。一生かけてありがとうと言い続けたい。もう、そのために、書いていたい。

私はかつて死にたかった。死にたくて仕方がなかった。でも今は、死ぬのがこわい。死にたくない。死にたくない。生きたい。生きて生きて生きて、その先でまたペンをとりたい。何度だって、救いを書きたい。書きたい。

雨が激しく降っている。25年前の今日、たしかに私は生まれた。それからずっと、生きて、生きている。誰かの傘になれる文章を、命ある限り、書き続けたい。今日も。明日も。ずっと。

いつも、見つけてくれてありがとう。
私は、あなたの文学になりたい。



眠れない夜のための詩を、そっとつくります。