近況 2022.02.27

ご無沙汰しております。
この文章をつくるまでに、随分時間がかかってしまいました。思考を文字起こしするエネルギーを振り絞り、同時に、文章を綴ることへの恐怖感や不信感と闘いながら書いています。

2月に入ってから、心身に支障をきたしていました。頭の中に砂嵐が流れ続け、いついかなる時も休まることができていませんでした。

去年の4月に社会人になり、大好きだった人や場所と離れひとりで暮らすようになって以来、少しずつ心が崩れてきていました。何とか騙し騙しやっていましたが、それが2月に入って、急にがらがらと完全崩壊を起こしました。

とてもくるしかった。

止まらない動悸で床をのたうち回り、味のしない食べ物を口に入れ、気持ち悪くなってすべて吐き、人の、ネットの、一挙一動が怖くなり、何もかもを信じることができなくなっていました。やっとのことで行った病院では平気なふりをした挙げ句何の診断名ももらえず、ただ限界な社会人というレッテルを貼られただけでした。部屋は荒れ預金通帳が荒れ口内と心がひどく荒れ、無理矢理絞り出した精神力だけで生きていました。

私には大切にしたい人やものがたくさん在ります。

地元にも東京にも、大切にしたい人がいます。仕事も文章の依頼も全部大切にしたいと思っています。

でも大切にしようとして、急に全部うまくできなくなりました。

何か一つを大切にすることは、他のすべてを蔑ろにするようで、だから何も取りこぼさぬようすべて大切にしようとした結果、何が何だかわからなくなり、パニックに陥り、自我がわからなくなるまで追い込まれてしまいました。鏡に映る自分が誰か、言葉を発している自分が誰かわからなくなり、泣きながら深夜まで携帯を握りしめ、「助けて」の4文字を未送信フォルダにひたすら放り込んでいました。

小説ってなんだろう?
言葉の存在意義はなんだろう?
私の思いは誰に届いているのだろう?

小説を書くのを辞めてみようと思うこともありましたが、それだけはできませんでした。19歳の冬から綴り続けた小さな小説たちは、いつしか積み重なって層になり、私の生きる理由を形成していました。人間のエゴの醜さ、言葉の無力さに心を抉られてしまい、頭を空っぽにしたくてTwitterから離れようとしたこともありました。しかし誰より何より、言葉を綴り続けることを諦めたくないのは私なのだと自覚しただけでした。私にとって小説を書くことは義務ではなく、呼吸と同じ意味合いなのだということが判明しただけでした。すぐに、空白の分も良いものを書きたい、ただの空白では終わらせないと思い、眠れない夜にひたすら筆を走らせるようになりました。

本業も一人暮らしもままならないくらい追い込まれてしまい、差し出された手を握り返す握力さえなくなった私のことを、それでも助けようとしてくれた人々がいました。待っていてくれる人々がいました。これからどうなるかはわかりませんが、2月末現在、私はぎりぎり生き延びることができています。

私は書いていたいです、
小説を、詩を、
誰かを救える文章を、

命尽きるまでずっと、書き続けていたいです。

届くことがなかったという事実さえも、古傷さえもインクに替えて、書き綴っていたいです。

3月も、どうか見つけてください。
私はあなたの文学になりたい。

嘘だよ。

私は私のエゴで、
自分もあなたもあの人も、
救える文章を書きたい。

それだけです。


眠れない夜のための詩を、そっとつくります。