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かたちあるものは壊れる。

うまいこという。

そう言えば、いいのか!
うまいこという人。

「かたちあるものは壊れる」

大正生まれの祖母のコトバでした。
食器だいすきだった祖母。
お茶碗、湯のみ。毎日使うものにお金をかけていたのです。
たぶん、むかしの女性は、みなそうだったのでしょう。

娯楽も少なく、家事労働に追われて。ささやかな楽しみ。祖母は、ずっと働いていましたし。


食器の衣更え


お茶碗、湯のみ。お皿。
祖母は食器棚に入っている食器を、季節ごとに、すべて入れ替えていました。
なんと食器も衣更えをしていたのです。

夏用に入れ替えたとき、白く薄手の陶器を嬉しそうに、わたしに見せた祖母。
靜子しづこ、白くてちっちゃな丸が透けてる湯のみは、ホタルていうねんで」
「へぇ」
「うつわは、婆ちゃんの道楽や…」
いま思えば懐かしい、祖母の食器の衣更え。

なのにわたしは、食器の衣更えをしたことがない。年中、ずっとおんなじ食器です。春夏秋冬、食器の衣更え。そこまでの財力は、アリマセン。


水屋みずやのなかにも、季節があるんや


祖母は食器棚のことを、「水屋みずや」とよんでいました。
わたしも「水屋みずや」呼びです。

おもに関西で食器棚のことを水屋《みずや》といいます。いまは、使わないコトバのひとつになりました。



祖母のお茶碗を割ってしまった

ある日、小学生のわたしは、季節感たっぷりの祖母のお茶碗を、つるりと割ってしまいました。
食事の後片付けで流しで食器を洗うお手伝いで。ちょっと厚手のお茶碗。ガチャン!


「どないしよ(どうしよう)…おばあちゃんに、おこられるわ」
祖母が、たばこ屋さんへ「チェリー」を買いに行ってる間のできごと。
それやったら、あたしが買いに出たらよかったんや。
子どもが、たばこ屋さんで、たばこが買えた時代でしたから。

でも恥ずかしかった。お手伝いは、洗い物を選択し、お茶碗を洗い出した矢先に。

帰宅した祖母におそるおそるの申告。怒られるとばかり思ってました



「かたちあるものは、壊れる」


そついうやいなや、祖母は、テキパキと割れたお茶碗を片付けはじめた。

壊れても、かまへん。片付けたらエエんや。どうにもならんし。新しいのん、うたらエエんや。

祖母は無言だったが、声が聞こえたような気がした。

慣れた手つき。お茶碗のカケラを集めて新聞紙に包んだ。
そして何重か包んで簡単に捨てた。


かんたんにすてた。

壊れたら、さっさと捨てる。
くちゃぐちゃ言わずに。
また買えばいい。

かたちあるものは、いつか壊れる。

祖母は、小学校も出るや出ないかで奉公に出て、戦争を乗り越え、シングルマザーとして苦労を重ねてきた。
そんな祖母の人生。お茶碗は大事にしていたけど、お茶碗以上の辛い別れに、あふれていたことだろう。
台所で、何もかも洗い流していたのだろう。
この水屋みずやの前で。
季節とうつわと、気持ちを出し入れして。

めぐる季節


わたしに、娘ができた。
祖母のコトバをありがたく使った。
娘が、かたちあるものを壊すと、おんなじことを何度でも。


かたちある、お茶碗は買い替えれる。


かたちあるものは。


いつも こころに うるおいを。
水分多めの おはなし。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

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