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水鯨さん・酔鯨でも水芸でもなく

喫茶・水鯨さん。おもしろい屋号です。喫茶店「水のクジラ」?
もとは金沢にお店があったそうです。


川口居留地

大阪にも外国人居留地がありました。
江戸時代末期、鎖国からの開港。
1868年(慶応4)のことです。
大阪は湾岸に港なく、安治川あじがわの上流の港・川口かわぐちを大阪港とします。

川口居留地跡かわぐちきょりゅうちあと


そして外国人居留地と雑居地。
建ち並ぶ洋館と、新しい文化。
パン屋さん・クリーニング屋さん・散髪屋さん、文明開化の音が大阪にも。
そんな川口の、ステキな喫茶店。

喫茶 水鯨さん
大阪市西区川口1-4-19
川口アパート



神戸、泣いてどうなるのか

当時、大阪湾に港設備・税関などはなく、小さな船に商品を積み換え、4キロどんぶらこ。


やっと川口港。川底に砂が溜まり船は動かない……
安治川の上流の税関は遠すぎる。
こんな港ヤダ!

大阪開港の地


外国商人の皆さんは、使い勝手の良い神戸港へ。
川口居留地は廃止になりました。


石碑と看板のみ寂しく

あの人は行って行ってしまった。
もう帰らない

五木ひろし『よこはま たそがれ』
歌詞より


あれっ、これは横浜の歌でした。
たいへん失礼しました。
そして現在。神戸市の旧居留地の繁栄は皆さま、ご存知のとおりでございます。


教会と通称・川口アパート

外国商人がいなくなった後。
外国人宣教師たちが教会・学校・病院などを展開します。
現在の大阪の大学などの発祥地となるのです。


商人の町なのに、やってもうた(失敗した)歴史もあるけれど。
川口は大阪の近代教育の発祥の地です。エヘン。

川口基督教会

なんとなく居留地の雰囲気を残す、総煉瓦の教会。シックでしょ。

ミッション系の
あの大学もこの大学も
川口居留地出身…


大学や病院は、明治18年、台風の浸水などトラブルに見舞われ、その後みな移転しています。


そして外国人とは、なんの脈略もなく、通称・川口アパートなる建物が昭和初期に建てられます。



カッフェー・喫茶店のはじまり

ひっそりと、大阪カフェの先祖の看板があります。
明治時代の終わり、川口居留地に。

カッフェー・キサラギ跡


この地、川口の喫茶店。水鯨さん。
川口アパートに、ゆらめいて。

通称・川口アパート


カウンターの黒光りとマッチ、きのうきょうでは語れない喫茶店です。


「水のクジラ」なので川の港のことかな、それとも、
クジラを荷揚げするぐらい歴史的な場所かなと思っていたらハズレでした。

モーニング
タマゴトースト


むかしから営業していたわけでもなく、金沢から転入したそう。
金沢の喫茶店が閉店。
心機一転、黒船ならぬクジラになって。
調度品などは、そのまま搬入、継承されています。

レトロなグラス
かためプリン
おてふき
むかしは、こんな紙でしたね



古きよき時代

ほんとうに、むかしの喫茶店ですね。
違うのは、禁煙。
お店の裏には川と堤防があります。
たばこは裏の外へ出て「川沿いホタル族」でお願いします。

トイレもタイル張りでレトロです。
便器は最新・アラウーノでビックリ!

(アラウーノの記事は、すっとばしてくださいませ)

さすが、もと居留地。新旧合わせ技。


酔鯨はない、水芸もない

喫茶店なので、お酒はない。宴会場でもない。
「すいげい」って耳馴染みがなく、「水兵」「水平」と聞こえてしまうかも。
川口だから、つい。水鯨です。水のクジラ。

伝票の裏、おもしろいから読んでください。賛否両論は、水に流して。

こんなに長い文章の伝票。伝票芸!
喫茶店が生まれたのは約100年前。


長いような、短いような。



川口居留地跡。
ゆったり泳ぐクジラさんと珈琲を。



毎週月曜日は
コーヒー・喫茶店エッセイの日


いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。



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