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誰かの欠乏感の穴を見つけてしまうと共鳴して一緒にそれを埋めたくなってしまう

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オリンピック前にふさわしくない話題だけど、スポーツとかで応援するのがなぜか苦手で、野球とかサッカーとかの応援にもほとんど興味がない。思いっきりハマって応援できる人たちに憧れる。自分はとても冷たい人間なんじゃないかとか思ったりする。

でもたまにすごく応援したり褒めたりしたくなる人っていうのがいて、その違いは何なんだろうと自分でもわからずにいた。自分より下に見える人なら遠慮なく褒めれるという意見を聞いたこともあるけれど、それとも違う。

無条件に応援したくなる人種がいる。どちらかというと人目を気にせず楽しんでいる人が多いかもしれない。うん、きっと自分自身のために楽しんでいる人だ。普通は誰かのためにがんばってる人とか辛い思いをして努力してる人とかを応援したくなるんだろうけど。できればそういう人とは距離を置いて、別次元で生きていきたい。

それともうひとパターンある。

ある漫画を読んでて思いうかんだのだけれど、私が褒めることで、そのことでその相手のそれまでの欠乏感が埋められていくように感じる人に対しては褒めたくなるのかもしれない。自分もそうだからかもしれない。一気には埋まらないだろうけれど、少しづつそれまでの欠乏感を埋められるような努力というか前向きにやっている人を見つけてしまうと、シンクロして共鳴して一緒にその穴を埋めたくなってしまう。私は誠実でまじめな人よりも、そういう不純な動機を持っている人が好きなのかもしれない。
そして、その人を褒めることで自分の穴も埋まっていく。それはその相手もシンクロして私の穴を埋めようとしてくれるからかもしれない。

自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!