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蕾みのままの桜

 サヨナラを繰り返す事で大人になったと信じてた。
だけど今僕にはいったい何が残っているのだろう?
たくさんの夢が詰まったバッグにギターケース、たったそれだけを持ち、早朝の駅のホームに立っていたあの日を思い出す。

 まだ二月のとても寒い朝、たった1人で駅へと続く用水路沿いの道を歩いた。
空はまだ夜の色そのもので、寝静まる街の中、僅かな窓から光と少しの音が漏れている。
道沿いにあるその街では少し大きな会社の寮には、その頃の僕にとっては大人で、今の僕にとっては若すぎる人達が暮らしていて、噂では女子寮だと聞いていた。
 そのひとつの窓には白熱球の黄色い光りが漏れている。それが真冬の寒い朝にはとても暖かく想えて微笑んだのを覚えている。

 その日の僕は100人以上の先輩や後輩、仲間達を抱えた暮らしている施設を誰にも何も事情を語ることもなくひっそりと後にしたばかりだ。
17歳の僕は生徒手帳と退学届、1通のサヨナラを自分の部屋のベッドに置いてきた。
中学1年の夏から世話になった場所だ。
とにかくまだ蕾みにもなっていない僕の人生にとって、それは大きな人生の賭けと決断だったし、一歩一歩踏み出してゆく歩みの中で、今ならまだ戻れるという気持ちと、この先にある何も予定の無い未来へとの戦いがはじまった事への期待が絡み合う歩みだった。

 その淡い光りが漏れる部屋からは、微かに音楽が漏れていた。
当時はブルーススプリングスティーンが大流行し、日本でも多くのアーティストがブルーカラーな人々の気持ちや、若者の代弁者なんてスタイルで、そんな彼に影響を受けて歌っていた。
 佐野元春や、尾崎豊、浜田省吾なんかがその代表格で、その部屋から漏れていたのはそんな種類の音楽の一つ、アメリカで当時大ヒットしていたジョンクーガーメレンキャンプのスモールタウンだった。
 僕は小さな街で生まれた、そしてこの先もずっとここで暮らすのだろう、なんて歌い出しではじまるその曲は、そこから出てゆく為に歩いている僕の心を迷わせるようで。
 だってそうだろ?
その曲のサビでは、その小さな街には心を許す友人がいて、自分を愛してくれていた人々もいて、自分でいられる場所だ、なんて歌っているのだ。

 とにかく僕はそんな光を振り切るように通り過ぎる。そこからはまた静けさが僕を包み込み、なんとか駅へと辿り着く事が出来た。
券売機で各駅停車の東京へと向かう切符を買い、高架を走るレールに寄り添う高い位置にあるホームへ這い出した。
まだ始発がやってくるには時間がある。

この先に起こった事は今だからわかってる。
 誰かが語る人生という多くの言い訳
 思い出の中で朽ち果てていく何か
 たくさんの出会いと別れ
 台無しにしてきた様々な事柄
 
 それでも17歳の僕は何も知らず、その駅のホームに立っていた。
行先は東京でそこに向かう各駅停車の切符を買い、東京に着いても知り合いも住む宛も何もない、仕事も何もないただの家出少年である事もわかっていた。
 ただそこにあるのは、もうここには戻らない、帰らないという決意だ。
ホームから見渡す街の空が少しだけ白み、漆黒にその色を加えて紫に変化する頃、東京へと向かう列車が滑りこむようにホームへと入ってきた。

 さぁ僕の人生のはじまりだ。
 二本の脚でしっかりと立ち、歩かなければ。
 少しだけ脚が震えたのを覚えている。
見えていた故郷の景色を遮るように、列車が目の前に立ちはだかり、無言でそのドアが開く。
一呼吸置いて、そのドアの向こうへと入ると窓ガラスごしにまた故郷が見えた。
それはまるで肉眼で見ていた街の景色とは異なり、テレビなどの映像を見るような、隔てられた世界を見ているようにも思えた。

それからの僕の話は、いつか君と出会ったら今の僕にでも聞いてくれよ。
それから数ヶ月後にいた東京に咲く桜は、故郷の桜とまったく同じで美しかったよ。
それでもね。

 随分時間は流れたけどあの頃と同じで、僕は蕾みのまま咲かずに落ちてゆく桜のような自分を感じるんだ。

 舞い散る花弁は美しいけれど、地に落ちると踏み付けられ、汚れて、風に飛ばされて、いったいどこに行き着くのだろうか?
 それなら咲かずにひっそりと静かにその時を待つ蕾みを見たほうがもしかしたら美しいなんて思わないかい?
時々いまでも思い出すのは毎日は、いつだって咲く前の蕾みの桜の季節だ。
咲き誇る桜の隅っこに、まだ咲いていない蕾みを見つけたら、それを僕だと思ってくれないかい?

#桜 #人生 #蕾み #青春 #旅立ち #エッセイ

そんな事より聞いてくれ。 君の親指が今、何かしでかそうとしているのなら、それは多分大間違いだ。きっとそれは他の人と勘違いしているに違いない。 今すぐ確認する事をお勧めするよ。 だって君と僕は友達だろ?もし、そうなら1通の手紙をくれないか?とても綺麗な押花を添えて。