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悩んでいるのは私だけじゃない、という希望

「みんな悩んでいる」という一言を、あなたならどう受け取るだろう?

今、NHKスペシャルで「君の声が聴きたい」というプロジェクトをやっている。
星野源がドラマに出ることだけを知っていたのだけど、「子どもや若者の幸せについて考える」というテーマに惹かれていくつかの放送を観た。
視聴者がTwitterで呟いた感想が画面下部に流れるようになっており、その中に印象的なつぶやきがあった。

「みんな悩んでいるのを知れてよかった。」

数秒間だったので原文ママではないけれど、こんな内容だった。
つぶやいた人は10歳。
色々な背景は本人にしかわからない。でも、たった1行のつぶやきを私は一生忘れたくないと感じた。

みんな悩んでいる、という言葉をどういう時に使うだろう。
私は、周囲と抱えているものの大きさを比較して、自分の悩みを否定したり、矮小化するために使っていたように思う。

「みんな悩んでいる
(だから、私の悩みなんて大したことじゃない。もっと苦しんでいる人がいるのだから我慢しないと)」

一方、このつぶやきからはもっと
「みんな悩んでいる
(だから、苦しみを抱えているもの同士、仲間だと知れて安心した)」

内側から観察できる人間は自分だけだ。悩みの複雑さや、その人にとっての重量は本人にしかわからない。だからこそ、変に卑下したり誇張したりするし、苦しみは断絶された点ばかりだと思っていた。
私たちは、バラバラで、みんなちがってみんないいし、どうせ全部は分かり合えない。だけれど、「悩みを抱えている」という点ではつながるね、というとてもシンプルな線が、相互理解のスタートラインになったっていいじゃないか。

私は彼(彼女)より3倍近く生きていて、ほどき方がわからないぐちゃぐちゃの糸のような出来事に幾度も出会ったし、もしかしたら彼(彼女)もこれから出会って、似たような経験をするかも知れない。それが希望になるか、絶望になるかはわからない。
だけど、私もあなたと同じ、悩みをもった人間だ。
あなたは私にとても鮮烈な希望をくれた。
いつかどこかで出会えたら、ダンスでもしよう。

2022.5.9 朝

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