出来事はすべてニュートラル
ある施設でヨーガ指導をしていました。その指導を、施設側からの要請で終了した経験があります。要は「クビ」になったんです。施設側は時間をかけて丁寧に説明してくださって、私が合意する形で終了となりました。
ショックでしたね、やはり。「参加人数が少なくて利益にならない。このヨーガクラスがあるから来所するという人を聞いたことがない。参加して良かったという声も上がってこない」と言われた時は特に。説明を受けたときは平静を保っていましたが、帰り道では涙がポロリと流れました。
眼の前の出来事をどう捉えるかについて、米澤紗智江さんの講座「こころのレッスン」で学んでいました。第5回講義より一部をご紹介します(連続講義は終了しています)。
施設は株式会社でしたので、会社として当然の対応でした。利益が出ないプログラムは止めて利益が出るものに変えていく、という。一方、私は悲しくて落ち込みました。「施設側の期待に応えられなかった。施設に拒否された。私は能力が無いダメな人間だ」と解釈していましたから。出来事に個人的な意味合いを持たせて、私のなかで悲しみを作って世界を見ていましたね。
でも、起きたことは「利益が出ないので終わった」、ただそれだけのこと、だったんです。
次の記事では、私がどんなふうに気持ちを切り替えたか、書いています。
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