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出来事はすべてニュートラル
ある施設でヨーガ指導をしていました。その指導を、施設側からの要請で終了した経験があります。要は「クビ」になったんです。施設側は時間をかけて丁寧に説明してくださって、私が合意する形で終了となりました。
ショックでしたね、やはり。「参加人数が少なくて利益にならない。このヨーガクラスがあるから来所するという人を聞いたことがない。参加して良かったという声も上がってこない」と言われた時は特に。説明を受けたときは平静を保っていましたが、帰り道では涙がポロリと流れました。
眼の前の出来事をどう捉えるかについて、米澤紗智江さんの講座「こころのレッスン」で学んでいました。第5回講義より一部をご紹介します(連続講義は終了しています)。
起こってくることっていうのは、全て、良いも悪いもなく、ニュートラルです。
事実としては良い悪いもなく、ただそこにそういう現象が起こっているっていうことですね。それを踏まえて、私たちは起こってくることを解釈しながら生きているわけです。
出来事は、その人の立場とか、背景とか、その人の関心事とかによって本当に180度変わりうるんです。また、時代によっても。個人としての解釈もありますね。これをされたら嫌だ、これは悪いこととかね。広い社会規範みたいなものとして、ダメなこともありますよね。物を盗むのはダメとか、 悪いこととかね。いろんなレベルでの良い悪いがあるんですけれども、やっぱり、突き詰めていくと、起こってくることは全てニュートラルなんです。
私たちの意識が先なんですよ。私たちが何を思ってるのか世界に現れてるんですよ。世界が先にあってそれをキャッチして、 だからどうっていう風な存在ではなくてね、私たちは。本当はそうじゃなくって、私たちがどんなふうに世界を見てるのかっていうのが初めにここにあって、それが現れてるのがこの世界なんですよね。
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施設は株式会社でしたので、会社として当然の対応でした。利益が出ないプログラムは止めて利益が出るものに変えていく、という。一方、私は悲しくて落ち込みました。「施設側の期待に応えられなかった。施設に拒否された。私は能力が無いダメな人間だ」と解釈していましたから。出来事に個人的な意味合いを持たせて、私のなかで悲しみを作って世界を見ていましたね。
でも、起きたことは「利益が出ないので終わった」、ただそれだけのこと、だったんです。
次の記事では、私がどんなふうに気持ちを切り替えたか、書いています。
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