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広告の歴史を5000年ふりかえったら世界が違って見えてきた

世間を騒がす外圧のおかげであまりにも時間ができたので、良い機会だと思い広告の歴史を紐解いてみることにした。まあ1000年程度かなと思って調べ出したら、結果5000年も遡ることになった。

世界最古の広告

広告の起源には諸説あるが、高桑末秀氏が『広告の世界史』で記述している事例が最も信頼性が高そうなので紹介する。

「この化粧品を使えばどんな老人でも若くなる。百万回も実証済み」

高桑氏によると、これは紀元前2500年ごろの古代エジプトで発見された化粧品の宣伝文で、考えられる限り現存する最古の広告らしい。パピルスに書かれたビラのようなものだったとのこと。

一読すれば分かるが、内容は現代の広告文とさほどどころか全く変わる点はなく、人間心理の変化の無さに驚かされる。現代人の方が広告に対するリテラシーは上がっているので、この表現では誰も買わないと思うが、訴求の方向性と数字を使って信頼性を高めるという手法は、現代となんら変わる点はない。

広告の構成要素は不変

5000年遡って気づいたことは「広告を構成する要素は変わらない」ということだ。

広告は「テキスト」「絵」「音」の3つによって成り立っており、媒体の種類によって単体で存在したり組み合わせが起こったりする(動画は連続した静止画なので、因数分解すれば絵であると解釈する)。特に「テキスト単体」と「テキストと絵の組み合わせ」は汎用性が高いので、どの時代でも広告の主流を走っている。

古代においてはパピルスや土壁を使い、中世・近世においてはポストカードやパンフレットを使い、近代においては新聞やTVを使い、テキストと絵による広告を繰り返している。現代においても、テクノロジーが進化しているおかげで配信方法については過去と比べるべくもないが、広告の内容そのものは同じだ。現代のディスプレイ広告と中世のポストカード広告は、びっくりするくらい見た目が同じである。

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中世17世紀のポストカード広告。どっからどう見てもバナーにしか見えない。

広告代理店は紀元前から存在した

広告と、それを取り扱う代理店は切っても切れない関係にある。上述の高桑氏によると、紀元前の時点で「壁に書かれた広告を上塗りし、新たな広告を書き込む」という職業が存在していたらしい。これはれっきとした広告代理業だろう。

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壁に書かれた広告

クライアントのマーケティング企画までを提案する近代的な代理店の出現は流石に近代にならないと生まれてこないが、単順な媒体屋としての代理店はすでに数千年前から存在していたのだ。

少し話が逸れるが、世界最初の近代的代理店と言われているのが、アメリカのエヤーという代理店で、1800年代後期に出現した。

エヤーは大手脱穀機メーカーの広告を受注するため、アメリカ全土の穀物の生産状況やそれに従事する農家のデモグラフィック情報、好んで読んでいる新聞雑誌などを細かく調査し、分厚いレポートにまとめて広告戦略を提案した。結果、大型の広告予算を獲得できたという。

エヤー以前の代理店は、ただ媒体規模と料金をクライアントに提示するだけであり、そこに戦略性は皆無だった。エヤーの提案は、従来の枠売り広告屋とは大きく異なる歴史的な一歩だったと言われている。現代では代理店が企画書を作成するのは当たり前だが、この点についてはまだ100年程度の歴史しかないのである。

「マス広告」の概念は新聞から

広告の歴史の中で大きく潮目が変わったのは新聞の出現以降だ。別に新聞は広告のために作られたものではないが、大量の人間に即座に情報を届けられる新聞は広告ビジネスと極めて相性が良く、近代広告産業のあり方を決定付けた。

新聞が産業として進化していくにあたり「地方紙」という概念が誕生する。これは中央集権で同じ情報を一律で配信するのではなく、受け取る地域によって記事の内容をカスタマイズした方がより媒体価値が上がるからである。これは膨大なリーチだけでなく、その中でさらにターゲットを絞り込むという発想であり、そのまま今のWEB広告の流れに通じる。

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中世ロンドンで新聞を配る女性

印刷出版技術が向上してくると、次は雑誌が進化する。雑誌は新聞とは異なり、より個人の趣味嗜好やライフスタイルに寄り添ったものであるため、広告媒体として非常に扱いやすいものだった。

更に技術が進化すると、ラジオ、テレビが登場する。こちらも広告のために生まれたメディアでは勿論なかったが、結果として広告で莫大な利益を生み出していくことになる。特にテレビ産業における広告ビジネスの重要性は、語るまでもないだろう。視覚・聴覚に同時に訴えかけることのできるテレビは、一家に一台という驚異的な普及率の後押しもあり、爆発的な広告効果を生み出せるようになる。

WEBの時代

そして時代が2000年代に入ると、いよいよインターネット広告が本格的に普及していく。2019年にはWEB広告費が2兆円を突破しTV広告費を抜いたことが話題になった。

WEB広告の急激な成長は、これまでの広告の歴史を振り返るとしっくりくるものがある。要は、これまでアナログの世界で媒体別に行われていた手法が、すべてWEBという空間の中で実現できるようになったからだ。文字による訴求、絵による訴求、動画による訴求、デモグラフィック別のターゲティング、サイコグラッフィク別のターゲティング・・・これらをいかようにも組み合わせて配信することができる。広告主がアナログからデジタルへ移行していくのは、自然な流れだろう。

現状、まだWEBに置き換えることが困難な手法は、イベントの類ぐらいだろう。リアルな体験をオンラインで提供する素地はまだ整っていない。しかし、これもVRが普及するまでの時間の問題であることは明白だ。

アナログ広告には無く、デジタル広告で初めて実現しえた手法は少ないが、検索連動広告はそのひとつだと思う。かつての広告は原則的に広告主からのプッシュ型のアプローチが前提だったわけだが、検索連動型広告の出現により、ユーザーの欲求が顕在化した段階で刈り取るというプル型のアプローチが実現できるようになった。これは大きな進捗だろう。

マーケティングは進化しているのか?

今から約70年前、当時の電通社長であり『鬼十則』を記した吉田秀雄氏は、当時こんな言葉を残している。

今日の広告代理業者はもはや単なる料金の交渉、原稿の運搬、あるいは金融機関代行業者のようなものであってはならない。媒体と広告主の間に介在するスペース・ブローカーという程度のものでは、その存在価値なく、広告宣伝の企画、技術、市場調査、販売効果を資料によって提供し、広告主及び媒体側の手間と経費を省き、広告活動を合理的かつ経済的にする専門的サービスを行うだけの機構と機能を備えることが要望されている。

要約すると「枠だけ売ってる広告マンは、もう生きていけないよ」ということなのだが、私はこの文章を最初に読んだ時、強い既視感を覚えた。これって今の時代もしょっちゅう言われていることなのではないかと。

そしてこれは、何も代理店に限った話ではない。事業主側、広告主側もただそこにある枠にただ商品を宣伝するだけではダメだということの裏返しでもあり、これまた今でもしょっちゅう言われている話である。

広告の歴史を5000年ふりかえったら、世界が違って見えてきた

広告の歴史を改めてふりかえってみると、変わらないもののあまりの多さに驚かされた。テクノロジーのおかげで情報伝達効率は格段に上がっているものの、やってることそのものは、ほとんど変化も進化もしていない。

しかしこれは裏を返せば「人間は変わらない」という事実であり「人間が変わらない以上、その人間の心を動かす手法も変わらない」という事実なのだと思った。

さらに突き詰めると、今の世の中で使われている広告表現や手法は、確実に人の心と意識を何らかの形で動かしているいうことだ。

例えば現代の私たちはバナー広告にすっかり飽きてしまい、ろくにクリックもしなくなっているが「そこにバナー広告がある」という事はどんなにバナー広告に興味が無くとも認知はできてしまう。それだけ「絵と文字のシンプルな組み合わせ」というフォーマットは強力な認知的強制力を持っているのだろう。なにせ5000年前から通用しているのだから。おそらく、5000年後も通用しているだろう。

私たちは変化し続ける日常を生きている。変化のスピードは日に日に早くなるばかりだ。しかし、そこに生きる私たち自身の本質は変わっていない。

今起きている変化も、過去を紐解けば必ず通じるものがある。今あるものには、すべて根拠と過去からの繋がりがある。広告の歴史を5000年ふりかえったら、様々なものに時の連鎖を感じるようになった。

未来のバナー広告は、どんなんかな。


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