人間でなくなることで、自由になる|『ここはすべての夜明け前』間宮改衣

文=武甜静/未来事務管理局

若い女性SF作家の「話題のデビュー作」、売り上げは一時期『三体』文庫版も上回る、などのフレーズに惹かれて購入した一冊だ。
本の前半は殆ど漢字が使われておらず、外国人の私にとって読みづらかった。日本語が母国語の読者がすらすら読めたのだろうか。いや、母国語読者でも普通の文章を読むよりやはり少しだけ時間がかかると思う。途中で漢字が戻って普通の文章になった時はホッとした。そして前半の仮名ばかりの文章の意図を考える。決して私のような外国人読者を苛めるための手段ではないだろうから、読者に一言一句を噛み締めてもらい、主人公の苦痛に少しでも多く共感してもらうのが目的だと推測する。
S F版の『82年生まれ、キム・ジヨン』、というのは読み終わった瞬間の感想だ。平穏に見える日常の中で、彼女の味方をしようとする人が誰一人いない。誰もが責められることなく彼女から何かを奪うことができる。そして誰も彼女を本当の意味で愛していなかった。
「女性ならではの感性」という表現は日本では嫌われているようだが、これは女性作家にしか書けない物語で、女性読者にしか通じない何かがあった。まずは「反省」。名もない主人公は、長い一生の中で出会ったほぼ全ての人に傷つけられ、裏切られてきた。それなのに、終焉を迎える世界の中で、彼女はその人たちを恨むことなく、ただただ自分自身の「罪」を数え、反省し続けた。
「人生で一つだけでも、正しいことをしたい。」
言い換えればつまり、彼女にとって人生の大半が間違ったことばかりだ。それは他人のせいにしているわけでもなく、主語は常に「私」だ。悲しいと感じながら、強くて美しい生き方だと、賞賛を与えたい。
もう一つ女性的だと思うのは、「自ら部外者になる」ことだ。ハン・ガンの『菜食主義者』では、女性は菜食主義者になることで、自身を苦しめる社会や家庭から逃げ出そうとした。間宮改衣の描く「部外者」はもっと極端で、主人公がサーボーグになり、人間ではなくなった。繁殖の責任がなくなり、苦痛を与える方でも与えられる方でもなくなる。女性の体に生まれたことで受けた全ての苦しみから脱ぎ出し、真の自由を手に入れた。
最後に、作品の中の「恋愛」を見てみたい。これは決して「愛に飢えた女の物語」ではない。「恋愛」は彼女が自由を求める途中の寄り道に過ぎない。彼女が寄り道をしたことで、人の人生を狂わせてしまった。でもそれは別に死ぬまで自身を責めなければならないようなことではない。正解はいつも後で知るもので、タイムマシンがないから仕方がない。
人間でなくなった彼女が、もう人間のいない地球で、ようやく正解に辿り着く。彼女を救えるのは、彼女自身しかいない。やっと自由を手にいれた彼女は、全ての過去を受け入れながら、自分自身と一緒にあてもなく旅をする。この結末は春節の時に中国で話題になった映画、『熱辣滚烫』を思い出させる。『百円の恋』をリメイクしたもので、結末はオリジナルと少し違う。「一緒に食事に行こう」と誘った男性に、「気が向いたらね」と答え、一人で帰った。この作品と同じ、ヒロインは自由になった。
「S Fではない」と評価する人もいるが、この作品が強烈な感情を読者に与えられたのは、S Fであるからだ。物語は現実の比喩だとよく言われるが、S Fの「What if」があったこそ、物語が離れた距離から、現実の残酷さをよりはっきりと見せることができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?